下高野街道(3)
朝9時には、近鉄・南大阪線の針中野駅に到着して、
「三菱UFJ銀行」窓口で現金を引き出す腹積もりが、
針中野支店が統合されて、無くなっていましてねえ。
キャッシュ・カードの再発行を怠ったことを悔やみつつ、
阿部野橋(天王寺)まで後戻ると、再び、針中野駅へ
舞い戻り、集合時刻(10時)10分前ぎりぎりに到着。
☆
5月24日(水)、歴史街道ウォーク
「下高野街道(3)」の始まりです。
しばらく、駒川沿いに南下。「東八橋」
~「百済大橋」~「修徳橋」~「常徳
橋」を確認しました。「常徳寺」付近で
東へ折れ、「酒君塚」に登りますよ。
「隋願地蔵尊」を見て、再び南下。
昔の街道らしい細い道に入り込み、
「雲茎(うんきょう)寺」や「満願地蔵尊」
を経て、左(東)に曲がり、「素盞嗚尊神社(鷹合神社)」に至ります。大通り(内環状線
/長居公園通)を横断し、「スシロー」や「マンダイ」を左手に南進。並び立つ「西光寺」
と「光西寺」に幻惑されつつ、「賽の神社」で立ち止まりました。祭神は「大将軍社」
(in 大阪天満宮)でも知られる八衢比古神、八衢比売神、来名戸神――道祖神のよう
ですけれども、“石”にまつわる伝承も残されており、再調査が必要な物件でしょう。
「光明寺」も過ぎ、「下高野橋」から大和川を渡ります。北詰近くには、阪和貨物線の
跡が在りまして、大和川上流に「近鉄大和川橋梁」、下流には「行基大橋」を眺める
ことが出来るのでした。大和川の左岸を流れる今井戸川に架かる「七郷橋」を渡って
(本来は「下七郷橋」を渡りたかった……)、「阿麻美許曽神社」に参拝。御朱印を
頂き、七郷の由来を聴けるなどして、非常に有意義。同社は矢田村の氏神であった
ため、大和川以南ながらも松原市ではなく、飛び地のように大阪市(東住吉区矢田
7丁目6−18)に属しています。神社の東側を下高野街道が走っていた訳で、さらに
南側の参道部分(約600m)も大阪市内となります。クスノキの大木に目が行きがち
ですが、地図を見るだけでも飽きることがありません。その後、「関西出雲久多美
神社」や「安楽寺」を横目に、「天美小学校」近くの道標などを押さえて、近鉄・南大阪
線の河内天美駅前で解散。既に松原市内でしたから、ぼくはマンホール蓋に釘付け。
「三菱UFJ銀行」窓口で現金を引き出す腹積もりが、
針中野支店が統合されて、無くなっていましてねえ。
キャッシュ・カードの再発行を怠ったことを悔やみつつ、
阿部野橋(天王寺)まで後戻ると、再び、針中野駅へ
舞い戻り、集合時刻(10時)10分前ぎりぎりに到着。
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「下高野街道(3)」の始まりです。
しばらく、駒川沿いに南下。「東八橋」
~「百済大橋」~「修徳橋」~「常徳
橋」を確認しました。「常徳寺」付近で
東へ折れ、「酒君塚」に登りますよ。
「隋願地蔵尊」を見て、再び南下。
昔の街道らしい細い道に入り込み、
「雲茎(うんきょう)寺」や「満願地蔵尊」
を経て、左(東)に曲がり、「素盞嗚尊神社(鷹合神社)」に至ります。大通り(内環状線
/長居公園通)を横断し、「スシロー」や「マンダイ」を左手に南進。並び立つ「西光寺」
と「光西寺」に幻惑されつつ、「賽の神社」で立ち止まりました。祭神は「大将軍社」
(in 大阪天満宮)でも知られる八衢比古神、八衢比売神、来名戸神――道祖神のよう
ですけれども、“石”にまつわる伝承も残されており、再調査が必要な物件でしょう。
「光明寺」も過ぎ、「下高野橋」から大和川を渡ります。北詰近くには、阪和貨物線の
跡が在りまして、大和川上流に「近鉄大和川橋梁」、下流には「行基大橋」を眺める
ことが出来るのでした。大和川の左岸を流れる今井戸川に架かる「七郷橋」を渡って
(本来は「下七郷橋」を渡りたかった……)、「阿麻美許曽神社」に参拝。御朱印を
頂き、七郷の由来を聴けるなどして、非常に有意義。同社は矢田村の氏神であった
ため、大和川以南ながらも松原市ではなく、飛び地のように大阪市(東住吉区矢田
7丁目6−18)に属しています。神社の東側を下高野街道が走っていた訳で、さらに
南側の参道部分(約600m)も大阪市内となります。クスノキの大木に目が行きがち
ですが、地図を見るだけでも飽きることがありません。その後、「関西出雲久多美
神社」や「安楽寺」を横目に、「天美小学校」近くの道標などを押さえて、近鉄・南大阪
線の河内天美駅前で解散。既に松原市内でしたから、ぼくはマンホール蓋に釘付け。
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