古堤橋
「放出橋」の在る辺りは 北から城北川、
南から平野川分水路が寝屋川に合流
しており、城北川の最下流に架かるのが
「古堤橋」(右上画像)でありました。
かつての古堤街道(野崎道)に架かる
橋だからと、ストレートなネーミングです。
「古堤橋」と接するように、すぐ北側
(上流)に設けられていたのが「城北
寝屋川口水門」です――右下画像は
北側に架かる「南今福橋」から撮影
(5月9日)。「日立造船」によって製作
された 鋼製シェル構造ローラゲートで、
平成5年(1993)3月に完成しています。
城北川と大川の合流点に設置されて
いる「城北大川口水門」と連係の上、
非常時の治水機能ばかりでなく、日常の
水環境~水質浄化においても、重要な
役割を果たしていますよ。そう言えば、
城東区役所に「三郷橋」の位置の件で
メールで問い合わせていたところ、丁重なお返事(6月8日付)を頂きまして、
恐悦至極。協力できる局面があれば、お互いに助け合っていきたいですね。
☆
丸木舟について、新修大阪市史によりますと、城東区今福西1丁目と
今福南1丁目・2丁目から出土されたと記録されています。
次に、祠について、城東区史によりますと、出土した丸木舟に工事人夫がこしをかけ、
弁当を食べていると足にさわるものがあり、珍しいものであると弁当箱に入れて、持ち帰り、
開けてみると何もないということが幾度か続いたため、
三郷橋の袂に小さな祠を作って祭ったものとの記録があることから、
祠は (丸木舟の) 出土跡ではなく三郷橋の袂であるとのことです。
また、三郷橋の場所について、城東図書館で所蔵している昭和29年の城東区の地図を確認したところでは、
ご指摘のとおり今福交番のある辺りと推測されます。
ただ、三郷閘門樋工事が行われた正確な場所について記載された文献が見つけられないため、
今福村内のいずれかの場所で行われたものと推測されます。
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上画像は前月15日、下画像は同9日撮影分 |
南から平野川分水路が寝屋川に合流
しており、城北川の最下流に架かるのが
「古堤橋」(右上画像)でありました。
かつての古堤街道(野崎道)に架かる
橋だからと、ストレートなネーミングです。
「古堤橋」と接するように、すぐ北側
(上流)に設けられていたのが「城北
寝屋川口水門」です――右下画像は
北側に架かる「南今福橋」から撮影
(5月9日)。「日立造船」によって製作
された 鋼製シェル構造ローラゲートで、
平成5年(1993)3月に完成しています。
城北川と大川の合流点に設置されて
いる「城北大川口水門」と連係の上、
非常時の治水機能ばかりでなく、日常の
水環境~水質浄化においても、重要な
役割を果たしていますよ。そう言えば、
城東区役所に「三郷橋」の位置の件で
メールで問い合わせていたところ、丁重なお返事(6月8日付)を頂きまして、
恐悦至極。協力できる局面があれば、お互いに助け合っていきたいですね。
☆
丸木舟について、新修大阪市史によりますと、城東区今福西1丁目と
今福南1丁目・2丁目から出土されたと記録されています。
次に、祠について、城東区史によりますと、出土した丸木舟に工事人夫がこしをかけ、
弁当を食べていると足にさわるものがあり、珍しいものであると弁当箱に入れて、持ち帰り、
開けてみると何もないということが幾度か続いたため、
三郷橋の袂に小さな祠を作って祭ったものとの記録があることから、
祠は (丸木舟の) 出土跡ではなく三郷橋の袂であるとのことです。
また、三郷橋の場所について、城東図書館で所蔵している昭和29年の城東区の地図を確認したところでは、
ご指摘のとおり今福交番のある辺りと推測されます。
ただ、三郷閘門樋工事が行われた正確な場所について記載された文献が見つけられないため、
今福村内のいずれかの場所で行われたものと推測されます。
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