★ 2023年7月に読んだ本 ★
鉄方堂『堺の怖い話・不思議な話』(さたなき書房)……「第1回 文学フリマ京都」にて
入手。「編者/ふしぎあん」、「鉄方堂/著『沙界怪談実記』より」と記されており、
フェイク(古典)怪談と思われますが、扱いに困りました。もっと、作り込んでほしい。
一坂太郎『幕末歴史散歩 京阪神篇』(中公新書)
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 12』(デアゴスティーニ・
ジャパン)……THELONIOUS MONK を特集。モンクは2枚ほど、アルバムを所有。
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 13』(デアゴスティーニ・
ジャパン)……KENNY BURRELL を特集。“ブルース感覚”がぼくの耳には普通。
清水勲・編『岡本一平漫画漫文集』(岩波文庫)
鹿児島のむかし話研究会編『鹿児島の伝説』(日本標準)……マイ・クラシック。
水上滝太郎『大阪の宿』(岩波文庫)……「中之島遊歩道」に文学碑が建っていて、
以前から気に懸かっていたので、念願の読了。余裕を持って、小説『大阪の宿』に
ついて語れそう。内容的にも面白かったです。街ネタとしても、使える小説家かな。
有島武郎『一房の葡萄 他四篇』(岩波文庫)……「二人の読書会」のテクスト。
表題作の他、「溺れかけた兄妹」、「碁石を呑んだ八っちゃん」、「僕の帽子のお話」、
「火事とポチ」。「一房の葡萄」など、書かれていない場面や、先生とジムの表面上の
態度の裏に空恐ろしいものを感じるぼくは、有島武郎(1878~1923)と亀井勝一郎
(1907~1966)を混同するくらい、いい子ではなく、「星の王子さま」が恋しいです。
鳴海風『星空に魅せられた男 間重富』(くもん出版)……高山ケンタ[画]。
中川なをみ『水底の棺』(くもん出版)……村上豊・画。児童文学と侮るなかれ。
嘉数次人『天文学者たちの江戸時代』(ちくま新書)
……副題「暦・宇宙観の大転換」。『星空に魅せられた男 間重富』等の後に読むと、
吉。著者は「大阪市立科学館」学芸員です。夏休みがあれば、星空を見上げよ。
定方晟『須弥山と極楽』(ちくま学芸文庫)……『倶舎論』を中心に仏教的宇宙観を
闡明した名著が、今夏、待望の文庫本化。地獄の描写が笑っちゃうくらいに最高。
『文楽床本集 国立文楽劇場 令和五年7・8月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
『近代彫塑の原点 長沼守敬展』(萬鉄五郎記念館)……1992年10月14日~11月
23日の間、開催された同展の図録。図版が限られている一方、文献資料が充実
していました。「現代美術の揺籃時代」は先月コピーした史料と同内容でしたが。
入手。「編者/ふしぎあん」、「鉄方堂/著『沙界怪談実記』より」と記されており、
フェイク(古典)怪談と思われますが、扱いに困りました。もっと、作り込んでほしい。
一坂太郎『幕末歴史散歩 京阪神篇』(中公新書)
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 12』(デアゴスティーニ・
ジャパン)……THELONIOUS MONK を特集。モンクは2枚ほど、アルバムを所有。
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 13』(デアゴスティーニ・
ジャパン)……KENNY BURRELL を特集。“ブルース感覚”がぼくの耳には普通。
清水勲・編『岡本一平漫画漫文集』(岩波文庫)
鹿児島のむかし話研究会編『鹿児島の伝説』(日本標準)……マイ・クラシック。
水上滝太郎『大阪の宿』(岩波文庫)……「中之島遊歩道」に文学碑が建っていて、
以前から気に懸かっていたので、念願の読了。余裕を持って、小説『大阪の宿』に
ついて語れそう。内容的にも面白かったです。街ネタとしても、使える小説家かな。
有島武郎『一房の葡萄 他四篇』(岩波文庫)……「二人の読書会」のテクスト。
表題作の他、「溺れかけた兄妹」、「碁石を呑んだ八っちゃん」、「僕の帽子のお話」、
「火事とポチ」。「一房の葡萄」など、書かれていない場面や、先生とジムの表面上の
態度の裏に空恐ろしいものを感じるぼくは、有島武郎(1878~1923)と亀井勝一郎
(1907~1966)を混同するくらい、いい子ではなく、「星の王子さま」が恋しいです。
鳴海風『星空に魅せられた男 間重富』(くもん出版)……高山ケンタ[画]。
中川なをみ『水底の棺』(くもん出版)……村上豊・画。児童文学と侮るなかれ。
嘉数次人『天文学者たちの江戸時代』(ちくま新書)
……副題「暦・宇宙観の大転換」。『星空に魅せられた男 間重富』等の後に読むと、
吉。著者は「大阪市立科学館」学芸員です。夏休みがあれば、星空を見上げよ。
定方晟『須弥山と極楽』(ちくま学芸文庫)……『倶舎論』を中心に仏教的宇宙観を
闡明した名著が、今夏、待望の文庫本化。地獄の描写が笑っちゃうくらいに最高。
『文楽床本集 国立文楽劇場 令和五年7・8月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
『近代彫塑の原点 長沼守敬展』(萬鉄五郎記念館)……1992年10月14日~11月
23日の間、開催された同展の図録。図版が限られている一方、文献資料が充実
していました。「現代美術の揺籃時代」は先月コピーした史料と同内容でしたが。
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焼かれ牛
天神牛 撫で牛
願掛け牛
この天神牛は江戸時代 元筑前橋にあった
黒田藩大阪蔵屋敷に奉祀されていた筑紫
天満宮の天神牛で黒田公の信仰も篤く特に
感応のある撫で牛、願掛け牛として知られていました
明治の廃藩置県で大阪屋敷取り壊しの際
黒田公は当神社に筑紫天満宮の合祀を望ま
れので御神殿と共にこの天神牛も迎えられ
(当時の荘厳な御神殿は第二次大戦で惜しくも焼失)
以来、生根神社の霊験あらたかな撫で牛、願掛け
牛として多くの人々の信仰を集めています
(改行等、原文ママ)
☆
「生根神社」(大阪市西成区玉出2-1-10)で生存を
確認できた「神牛」であります。「筑前橋」の架かっていた位置は、現在と異なり、
黒田藩蔵屋敷は中之島に在りました。「天王寺公園」内に移された「旧黒田藩
蔵屋敷長屋門」が有名ですが、(筑紫天満宮の)撫で牛も生き残っているのです。
焼けた社殿は仕方ないとして、石灯籠はどうなったのか。今度、牛さんに訊いておこう。

願掛け牛
この天神牛は江戸時代 元筑前橋にあった
黒田藩大阪蔵屋敷に奉祀されていた筑紫
天満宮の天神牛で黒田公の信仰も篤く特に
感応のある撫で牛、願掛け牛として知られていました
明治の廃藩置県で大阪屋敷取り壊しの際
黒田公は当神社に筑紫天満宮の合祀を望ま
れので御神殿と共にこの天神牛も迎えられ
(当時の荘厳な御神殿は第二次大戦で惜しくも焼失)
以来、生根神社の霊験あらたかな撫で牛、願掛け
牛として多くの人々の信仰を集めています
(改行等、原文ママ)
☆
「生根神社」(大阪市西成区玉出2-1-10)で生存を
確認できた「神牛」であります。「筑前橋」の架かっていた位置は、現在と異なり、
黒田藩蔵屋敷は中之島に在りました。「天王寺公園」内に移された「旧黒田藩
蔵屋敷長屋門」が有名ですが、(筑紫天満宮の)撫で牛も生き残っているのです。
焼けた社殿は仕方ないとして、石灯籠はどうなったのか。今度、牛さんに訊いておこう。
北村治禧

作品が展示されています。建て替えられる「国立劇場」
(東京)には、平櫛田中等の作品が飾られていますが、
大阪の「国立文楽劇場」に展示されている面子は? と
以前から、こつこつと調べていましたけれど、1体だけ、
銘板の作者名が読めないのですよ。作品名は「妖精」
ですが、その下の作者名が「**作」と2個の漢字が判読
困難。「作」も氏名の一部である可能性がありますし。
7月25日、思い切って劇場関係者に問い合わせたところ、
即答は得られませんでしたが、幕間に、「北村治禧
(はるよし)」との調査結果をわざわざお教えいただきました。
ありがとうございます! 北村治禧(1915~2001)は、
北村西望(1884~1987)の長男で、東京都北区名誉
区民(大阪市北区ではありません)でした。親子して、
作者銘では姓を省いていることが多い模様。父の西望の
代表作は、長崎市の「平和祈念像」とされるのでしょうが、大阪市北区民としては、
「大阪府立中之島図書館」中央ホールの「野神像」と「文神像」を挙げておきます。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
夏は浪花鑑
7月28日(金)18時30分から、「夏休み文楽特別公演」
第3部を鑑賞しています。開場前に立ち寄った たこ焼き
「えびす」で、顔を見覚えられたらしいスタッフから声を
掛けられるも、食欲は低調。いよいよ、夏バテかな……
と危ぶまれたところに、「夏祭浪花鑑」。真夏のだんじり
囃子の中、展開される血みどろの殺戮劇で暑気払い。
濃厚なサンタ・サングレ感に、陶然とさせられました。
倅市松を豊松清之助、一寸徳兵衛を吉田玉助が遣って
いましたが、やはり、住吉鳥居前の段、釣船三婦の段
と来て、長町裏の段で全開となる団七九郎兵衛と三河屋
義平次の粘っこい絡みが最高。吉田玉男の殺人鬼役は
常に極まっているし、吉田和生の殺られっぷりも良いの。
語るは団七が竹本織太夫、義平次の豊竹藤太夫も
申し分無く、三味線が鶴澤燕三ですから、悶絶させられ、
昇天させられるうちに幕。義理や人情なんて、××喰らえ。
「悪い人でも舅は親 」が言い訳にしか聞こえませんよ。

第3部を鑑賞しています。開場前に立ち寄った たこ焼き
「えびす」で、顔を見覚えられたらしいスタッフから声を
掛けられるも、食欲は低調。いよいよ、夏バテかな……
と危ぶまれたところに、「夏祭浪花鑑」。真夏のだんじり
囃子の中、展開される血みどろの殺戮劇で暑気払い。
濃厚なサンタ・サングレ感に、陶然とさせられました。
倅市松を豊松清之助、一寸徳兵衛を吉田玉助が遣って
いましたが、やはり、住吉鳥居前の段、釣船三婦の段
と来て、長町裏の段で全開となる団七九郎兵衛と三河屋
義平次の粘っこい絡みが最高。吉田玉男の殺人鬼役は
常に極まっているし、吉田和生の殺られっぷりも良いの。
語るは団七が竹本織太夫、義平次の豊竹藤太夫も
申し分無く、三味線が鶴澤燕三ですから、悶絶させられ、
昇天させられるうちに幕。義理や人情なんて、××喰らえ。
「悪い人でも舅は親 」が言い訳にしか聞こえませんよ。
tag : 文楽
Art Trip
今年も、大阪市北区の「まち歩きガイド
ボランティア養成講座」(第1回)が、
北区役所にて開かれています。講師は
聚松山「専念寺」の木村啓良・住職です
が、いつになく、体調を崩しておられる模様。
狼狽することなく、落ち着いて話し終えた
ところで、流石だなと感嘆させられました。
他人事でなく、自主練(勉強会)が必要です。
☆
午後から、Osaka Metro・堺筋線と京阪・
中之島線を乗り継いで(「難波橋」を渡って
います)、渡辺橋(駅)まで移動。「大阪大学
中之島センター」改修に伴い、3~4階に
誕生した「中之島芸術センター」を訪ね、
4階展示室で開催されている「アートトリップ
中之島」を鑑賞したのでした。昨夏、「大阪
大学総合学術博物館」で開催された第16回
特別展の再構成(アネックス)ですけれど、
お気に入りのコンテンツでもあったし、じっくりと観直し。展示室にエレベーターで
上がる前、2階の「カフェテリア・アゴラ」でオムライス・セット(1,100円)を賞味。
画像は、1階から2階へ通じる階段の踊り場に飾られた森村泰昌「適塾の集い」の
「塾生たち」(他に「洪庵」、「八重」の計3点から成ります)の右部分。ムーディーな
照明が写り込んで、撮影は至極困難でした。カフェには、今村輝久や中村貞夫の
作品も展示されていましたよ。「中之島芸術センター」から撤収すると、「大阪中之島
美術館」の「ジャイアント・トラやん」に挨拶し、「中之島フェスティバルタワー」
13Fの「朝日稲荷大明神」にも参詣。「渡辺橋」を渡り、「堂島地下センター(ドーチカ)」
経由で、「大阪駅前第1ビル」に潜りました。「マヅラ」がまさかの満席状態でしたから、
「King of Kings」に移れば、既に夜の賑わい。フルーツ・パフェでクール・ダウンね。
ボランティア養成講座」(第1回)が、
北区役所にて開かれています。講師は
聚松山「専念寺」の木村啓良・住職です
が、いつになく、体調を崩しておられる模様。
狼狽することなく、落ち着いて話し終えた
ところで、流石だなと感嘆させられました。
他人事でなく、自主練(勉強会)が必要です。
☆

中之島線を乗り継いで(「難波橋」を渡って
います)、渡辺橋(駅)まで移動。「大阪大学
中之島センター」改修に伴い、3~4階に
誕生した「中之島芸術センター」を訪ね、
4階展示室で開催されている「アートトリップ
中之島」を鑑賞したのでした。昨夏、「大阪
大学総合学術博物館」で開催された第16回
特別展の再構成(アネックス)ですけれど、
お気に入りのコンテンツでもあったし、じっくりと観直し。展示室にエレベーターで
上がる前、2階の「カフェテリア・アゴラ」でオムライス・セット(1,100円)を賞味。
画像は、1階から2階へ通じる階段の踊り場に飾られた森村泰昌「適塾の集い」の
「塾生たち」(他に「洪庵」、「八重」の計3点から成ります)の右部分。ムーディーな
照明が写り込んで、撮影は至極困難でした。カフェには、今村輝久や中村貞夫の
作品も展示されていましたよ。「中之島芸術センター」から撤収すると、「大阪中之島
美術館」の「ジャイアント・トラやん」に挨拶し、「中之島フェスティバルタワー」
13Fの「朝日稲荷大明神」にも参詣。「渡辺橋」を渡り、「堂島地下センター(ドーチカ)」
経由で、「大阪駅前第1ビル」に潜りました。「マヅラ」がまさかの満席状態でしたから、
「King of Kings」に移れば、既に夜の賑わい。フルーツ・パフェでクール・ダウンね。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
入鹿の血
『妹背山婦女庭訓』(四段目)では、“豆腐の御用”だけでなく、
井戸替の段から、「ヤイ子太郎 (ねたろう)、酌をしをらぬか。
どりや吸物に豆腐でも焚(た)いて来ましよ 」と、頻繁に
豆腐が顔を出す印象があるのですけれども、豆腐の吸い物とは
湯豆腐のことかしら。豆腐はさて置き、本題に戻りますと――。
牝鹿の生き血によって生まれた蘇我入鹿は、藤原淡海の放つ
矢を苦も無く素手でつかむ程の魔人でありますが、出生の秘密
故の弱点も有しており、ボス・キャラを倒す必須アイテムとされ。
☆
彼奴(きゃつ)が心をとらかすには、爪黒の鹿の血汐(ちしお)と疑着(ぎちゃく)の相ある女の生血、これを混じてこの笛に灌ぎかけて調ぶる時は、実に秋鹿の妻恋ふ如く、自然と鹿の性質顕はれ、色音を感じて正体なし。
☆
(猟が禁じられている)爪黒の牝鹿については、既に鹿殺しの段
(二段目)において、猟師芝六(実は玄上太郎利綱)が入手済み。
疑着(=深い嫉妬や疑念)に囚われた女として、お三輪も鱶七に
刺し殺される次第ですが、このメカニズムがどうにも吞み込めず…
…入鹿には白い牝鹿の血が流れている ⇒ 爪黒の牝鹿の血汐で
牝鹿の血を呼び覚ます ⇒ さらに、疑着の相の女の生き血により、
恋に狂った秋鹿のトランス状態にまで陥らせる……という仕組み
でしょうか。ならば、爪黒の秋鹿を仕留めればよいように思う訳です
が、入鹿にしても人間の女から生まれた以上、人の生き血は必須
となるのか(いずれにせよ、お三輪が不憫なことには変わりなくて)。
正直、その笛によっても、入鹿は一瞬正気を失うだけ。藤原鎌足の
鎌によって掻き切られた生首にしろ、宙を舞い、火炎を吐きかける
無双ぶり。首塚はあちらこちらに残されているし、入鹿は凄いよ!
参考文献:『文楽床本集 国立文楽劇場 令和5年7・8月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
井戸替の段から、「ヤイ子太郎 (ねたろう)、酌をしをらぬか。
どりや吸物に豆腐でも焚(た)いて来ましよ 」と、頻繁に
豆腐が顔を出す印象があるのですけれども、豆腐の吸い物とは
湯豆腐のことかしら。豆腐はさて置き、本題に戻りますと――。
牝鹿の生き血によって生まれた蘇我入鹿は、藤原淡海の放つ
矢を苦も無く素手でつかむ程の魔人でありますが、出生の秘密
故の弱点も有しており、ボス・キャラを倒す必須アイテムとされ。
☆
彼奴(きゃつ)が心をとらかすには、爪黒の鹿の血汐(ちしお)と疑着(ぎちゃく)の相ある女の生血、これを混じてこの笛に灌ぎかけて調ぶる時は、実に秋鹿の妻恋ふ如く、自然と鹿の性質顕はれ、色音を感じて正体なし。
☆
(猟が禁じられている)爪黒の牝鹿については、既に鹿殺しの段
(二段目)において、猟師芝六(実は玄上太郎利綱)が入手済み。
疑着(=深い嫉妬や疑念)に囚われた女として、お三輪も鱶七に
刺し殺される次第ですが、このメカニズムがどうにも吞み込めず…
…入鹿には白い牝鹿の血が流れている ⇒ 爪黒の牝鹿の血汐で
牝鹿の血を呼び覚ます ⇒ さらに、疑着の相の女の生き血により、
恋に狂った秋鹿のトランス状態にまで陥らせる……という仕組み
でしょうか。ならば、爪黒の秋鹿を仕留めればよいように思う訳です
が、入鹿にしても人間の女から生まれた以上、人の生き血は必須
となるのか(いずれにせよ、お三輪が不憫なことには変わりなくて)。
正直、その笛によっても、入鹿は一瞬正気を失うだけ。藤原鎌足の
鎌によって掻き切られた生首にしろ、宙を舞い、火炎を吐きかける
無双ぶり。首塚はあちらこちらに残されているし、入鹿は凄いよ!
参考文献:『文楽床本集 国立文楽劇場 令和5年7・8月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
縁の苧環
「だいがく祭」本宮に足を運ぶ前、「国立文楽劇場」にて
13時30分から「夏休み文楽特別公演」第2部、「妹背山
婦女庭訓」四段目を鑑賞しています。井戸替の段/
杉酒屋の段/道行恋苧環/鱶七使者の段/姫戻りの段
/金殿の段/入鹿誅伐の段――15分休憩を入れて約
4時間の公演があっと言う間でした。「4月文楽公演」で
第1~3部が上演されており、(5段目は現在上演不可)
今回の四段目で“通し狂言”という体です。「杉酒屋の
段」に因み、ロビーには、「大神神社」から授与された
杉玉が飾られていました。第2部には出演しませんが、
吉田玉男がようやく人間国宝に認定され、来年4月には
豊竹呂太夫(6代)が十一代目 豊竹若太夫を襲名する
予定。一方で、研修生だった應武佳之が鶴澤藤之亮、
田村啓暉が竹本織栄太夫を名乗るようになっています。
時の移ろいを痛感しながら、ぼくは劇場関係者をつかまえ、
2Fロビーの彫刻の作者について質問し、貴重な回答を得ることが出来ました。
好きな太夫、三味線、人形遣いがいると、それだけで気分が高まりまして、
数え上げれば、井戸替の段の鶴澤藤蔵、杉酒屋の段の野澤錦糸、「道行恋苧環」で
お三輪が豊竹呂勢太夫、橘姫が竹本織太夫、求馬が豊竹靖太夫。金殿の段では
豊竹呂太夫、鶴澤清介。丁稚子太郎を吉田玉勢、猟師鱶七(実は金輪五郎)を
吉田玉志が遣っています。お三輪は桐竹勘十郎(……しかし、お三輪の扱いは酷過ぎ)。
ともあれ、井戸替えやら、乞巧針(乞巧奠の供え物)やら、星合い(7月7日の七夕)に
物語の時節は収斂されており、夏に相応しい四段目であることよ、と感心させられて。

13時30分から「夏休み文楽特別公演」第2部、「妹背山
婦女庭訓」四段目を鑑賞しています。井戸替の段/
杉酒屋の段/道行恋苧環/鱶七使者の段/姫戻りの段
/金殿の段/入鹿誅伐の段――15分休憩を入れて約
4時間の公演があっと言う間でした。「4月文楽公演」で
第1~3部が上演されており、(5段目は現在上演不可)
今回の四段目で“通し狂言”という体です。「杉酒屋の
段」に因み、ロビーには、「大神神社」から授与された
杉玉が飾られていました。第2部には出演しませんが、
吉田玉男がようやく人間国宝に認定され、来年4月には
豊竹呂太夫(6代)が十一代目 豊竹若太夫を襲名する
予定。一方で、研修生だった應武佳之が鶴澤藤之亮、
田村啓暉が竹本織栄太夫を名乗るようになっています。
時の移ろいを痛感しながら、ぼくは劇場関係者をつかまえ、
2Fロビーの彫刻の作者について質問し、貴重な回答を得ることが出来ました。
好きな太夫、三味線、人形遣いがいると、それだけで気分が高まりまして、
数え上げれば、井戸替の段の鶴澤藤蔵、杉酒屋の段の野澤錦糸、「道行恋苧環」で
お三輪が豊竹呂勢太夫、橘姫が竹本織太夫、求馬が豊竹靖太夫。金殿の段では
豊竹呂太夫、鶴澤清介。丁稚子太郎を吉田玉勢、猟師鱶七(実は金輪五郎)を
吉田玉志が遣っています。お三輪は桐竹勘十郎(……しかし、お三輪の扱いは酷過ぎ)。
ともあれ、井戸替えやら、乞巧針(乞巧奠の供え物)やら、星合い(7月7日の七夕)に
物語の時節は収斂されており、夏に相応しい四段目であることよ、と感心させられて。
だいがく

17時25分。相方と合流して目指した場所は、Osaka
Metro・四つ橋線の玉出。4年ぶりの奉納花火でごった
返すであろうことは必至の天満を避けて、「生根神社」
(大阪市西成区玉出2-1-10)の「だいがく祭」本宮を
見物に出掛けたのでした。大阪府有形文化財民俗資料
第1号「だいがく」が公開されているのを、しばし見学。
元は雨乞い祈願に使用され、神灯や鈴、提灯を吊るした
棹に台や太鼓、担ぎ棒を取り付けた物でして、江戸時代
末に勝間村(玉出)に14基あった「だいがく」も、明治時代
初期には6基と漸減。第2次世界大戦前に3基が担がれて
いたそうですが、戦災により2基が焼失。当時の保管役・
岡本宗次が岡山に疎開させていた最後の1基が現存して
いる次第。昭和27年(1952)、「生根神社」夏祭りで再び
担がれて以降、毎年7月24~25日に公開されています。
☆
高さ約20mの文化財は据え置きで、

近所の「玉出西公園」で、小ぶりの2号
「だいがく」(男性用)、3号「だいがく」
(女性用)が担がれている模様。境内
には、中学生用の4号「だいがく」も
見えました。境内を一巡して御朱印を
頂いた後、「鳥貴族」玉出店で夕食。
「生根神社」を再訪し、明かりの入った
「だいがく」を眺め、帰途に就くのでした。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
鉾流神事

朝を迎え、本日(24日)は「天神祭」
宵宮だから、Osaka Metro・堺筋線で
北浜へ向かい、「難波橋」を渡って
「鉾流橋」を目指すのでした。「鉾流橋」
上は大勢の人だかりですけれども、
「難波橋」から堂島川右岸を西進する
輩は報道関係者が大半で、意外に
空いているのでした。7時45分に本殿で
「宵宮祭」を斎行した神職と参列者の行列が、旧・若松浜(天満警察署前)の鉾流祭場
にて、“鉾流神事”を執り行うのが8時50分。神事の起源は平安時代後期、天暦5年
(951)まで遡れるそうです。浜から神鉾を流し、漂着した川下の地に御旅所を仮設して
いたのですが、やがて、御旅所は常設となり、鉾流神事も中止されました。元禄期
(1688~1704)、代わりに登場したのが御迎え船~
御迎え人形です。時代が下って、昭和5年(1930)、鉾流

神事が復興。本来の意味合いからすれば、形骸化した
ように思われなくもありませんが(神がどこに渡御するかの
自由は与えられておらず、一旦解放されたように見せるも、
所定の位置で回収される)、毎年7月24日、「天神祭」の
開幕を告げる重大なイベントであります。ぼくの立つ川縁は
「鉾流橋」上から見るより距離は迫っていますが、最前列に
出張らないと祭場の様子は全く窺えません(脚立もカメラ・
アームも用意している訳でなし)。鉾流歌が聞こえ始め、
大川(堂島川)に斎船(いわいぶね)が出て行くまでは、神事に
群がる関係者やカメラマンの後ろ姿を眺めていました。
斎船が川上に漕ぎ出され、神童らが白木の神鉾や人形
(の紙)を包んだ菰(こも)を手放し、祭場の浜に戻りますと、しばらく後から、御鳥船が
やって来ます。太鼓をどんどこ叩きながら、近付いてくる青い法被を着た野郎たちで、
神鉾だけを引き揚げて去って行きました。菰は水上に漂ったまま。そうして、時刻は
10時頃となっています。「難波橋」を南へ渡り、「花外楼」北浜本店を訪れるも、またもや
攻略できず。「葭屋橋」を通過し、「天神橋」では、「天神祭絵巻」陸渡御/船渡御の
タイル壁画を撮影して上り下りしました。「大阪天満宮」に帰る(?!)と、参集殿で公開
されていた御迎え人形「与勘平」(右画像)、「佐々木高綱(真田幸村)」、「胡蝶舞」
3点のスタンプを入手。翌日の本宮で「大阪天満宮」に立ち寄ることは諦めていました。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
プロムナード上
![]() |
![]() |
(下画像の)「北橋」の向こう側に「片町橋」 |
大阪城歩行者専用道路の一部
である屋根付きの歩行者専用橋
「大阪城京橋プロムナード」を
渡りつつ、寝屋川上流(東側)を
見遣れば「京橋南歩道橋」(左上
画像)が目に映ります。その奥を
JR大阪環状線が走っていますね。
「京橋南歩道橋」はプロムナード
同様、昭和62年に完成した連続
鋼床版箱桁橋(橋長280.0m)です。
寝屋川下流(西側)を見下ろすと、
「北橋」(左下画像)が目に入ります。
昭和40年(1965)に架け替えられた
3径間鋼板桁橋(橋長56m、幅員9m)
でして、プロムナードの出現により、
通行者の数は激減したかと推測
されます。橋名のシンプルさが、逆に、
往時の重要な位置付けを物語っている
ではありませんか――京橋駅と「大阪砲兵工廠」を結んでいたのが「北橋」です。その
向こう(西側)に架かっているのが「片町橋」。あちらも3径間桁橋でしたが、合成床版。
tag : 橋