源蔵町(1)
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晴れ間を見て、源蔵町の探索に出発。
「梅新東歩道橋」を南へ渡ると、老松
通りを東へ進みます。老松通りは大阪
天満宮参道でもあり(現在の「天神祭」
陸渡御コースの一部です)、鳥居筋
線と同じ。「樽屋橋」跡にて阪神高速
12号・守口線(天満堀川跡)を潜り
抜けて――「樽屋橋」の北に架かる
橋が「天神小橋」でした――、天神橋
筋まで行けば、鳥居に突き当たる格好
ですが、今回は(大阪市北区)西天満
3丁目でストップ。老松通りの途中で
北へ折れますと、「長谷川印刷所」
(西天満3丁目7−30)前に、「旧町名
由来案内」(左上画像)が建っている
のです。老松町を省いて、「源蔵町」の
件を転記しますと、以下のとおり。
☆
源蔵町という町名の由来は明らかでないが、大坂三郷には居住者の人名によった町名が多く、この町も「源蔵」という居住者名に由来するものと思われる。老松町と同じく大阪でも古い町の一つで、『大坂町鑑』には、「天まほり川天神小橋西詰より、なに八ばし筋迄」と記されている。この町は明治五年三月の町名分合改称のときも、そのまま旧町名を継承し、町域の変更もなかった。
(注)
昭和五十三年二月一日
新住居表示制度実施に
伴い現町名に改称された
北区役所
☆
「樽屋橋」が鳥居筋線(老松通り)に架かっているのに対し、
「天神小橋」は表門筋に架かっています。そのまま東進すれば、
「大阪天満宮」表大門に出るでしょう。手元の古地図のデータを
適当に引っ張ってみると、元禄元年(1688)の「辰歳増補
大坂圖」に「源蔵丁」と見えましたので、確かに古い。ただ、
町名由来が人名に基づくのはよいとして、居住者名ではなく、
菅原町、菅栄町等、菅公に因む町名と思われます。直接でなく、
菅丞相の忠臣、武部源蔵の名から採ったと思われ、源蔵は
人形浄瑠璃文楽・歌舞伎の三大名作の一つ、『菅原伝授
手習鑑』にも登場するのです。桂米朝師匠が「天満の源蔵町
という町名は、菅公ゆかりの名前で、菅原伝授手習鑑、
「寺子屋」の式部源蔵に因んだ名前です 」と書かれていました。
左下画像は、「西天満どんぐり公園」の東口に掲げられている
「西天満3丁目源蔵町案内図」。周辺物件を探索してみた結果、
「源蔵ビル」、「Komatsu PALLAZO 旧源蔵町」等を確認済み。
参考文献:桂米朝 『上方落語 桂米朝コレクション4 商売繁盛』(ちくま文庫)
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