岩崎橋と
週末、落語会に足を運んだ折、1日乗車
券(御堂筋線開業90周年記念)を利用
したついでに、小路ばかりでなく、大正
(長堀鶴見緑地線)と新深江(千日前線)
の両駅でも下車しています。特に、大正
駅は、先月、「メトロ恐竜探検スタンプ
ラリー」で訪れた際、雨模様だったため、
撮影し損ねた物件もございましたから…
…4番口から出て北上し、尻無川まで。
「タグボート大正」を前にすると、右手に「岩松橋」が在り、左手(西)が「岩崎橋」です。
いや、正確に言うと、「岩崎橋」の先に架かる「岩崎運河橋梁」が目立って仕方ない訳
ですけれども。右上画像では、中央部分の車道(難波境川線)が「岩崎橋」、その左側
(および左下画像)が「岩崎運河橋梁」です。大阪ガスのタンクの向こう側には、「京セラ
ドーム大阪」が曲がりくねっています。「岩崎橋」南詰まで歩いてきて初めて、大道具の
バイトに勤しんでいた時代(2010~2011年)、会場設営で何度となく渡った橋だったと
思い出しましたよ。ガチ袋をぶら下げ、とぼとぼと歩いていたっけ。どろどろの朝帰り。
☆
大正9年(1920)に架けられた「岩崎橋」は、大阪市内で
初めての鉄筋コンクリート橋 だったそうです。昭和40年
(1965)、昭和49年(1974)の2回に分けて鋼桁に架け
替えられ、橋長75.60m、幅員19.30m。元は木津川と
尻無川を結んでいた岩崎運河(開削が大正9年)が、現・
尻無川の上流に組み込まれ、江戸時代の尻無川の上流
(ドーム直下を含む)は埋め立てられている現状です。
そして、左画像が、「木津川橋梁」と“双子の鉄橋”と
呼ばれている「岩崎運河橋梁」。通常のトラス橋の倍の
高さともなるダブルワーレントラス形式ですが、「木津川
橋梁」と違って、すぐ東側に近接している「岩崎橋」から
至近距離で、しげしげと見入り、その大きさを堪能できる
のであります。橋長91mといいますが、高さはいかほど
かしら。「今昔マップ3」を眺めていれば、その周辺でも
探索すべき物件がちらほらと、目に飛び込んでくるのね。

券(御堂筋線開業90周年記念)を利用
したついでに、小路ばかりでなく、大正
(長堀鶴見緑地線)と新深江(千日前線)
の両駅でも下車しています。特に、大正
駅は、先月、「メトロ恐竜探検スタンプ
ラリー」で訪れた際、雨模様だったため、
撮影し損ねた物件もございましたから…
…4番口から出て北上し、尻無川まで。
「タグボート大正」を前にすると、右手に「岩松橋」が在り、左手(西)が「岩崎橋」です。
いや、正確に言うと、「岩崎橋」の先に架かる「岩崎運河橋梁」が目立って仕方ない訳
ですけれども。右上画像では、中央部分の車道(難波境川線)が「岩崎橋」、その左側
(および左下画像)が「岩崎運河橋梁」です。大阪ガスのタンクの向こう側には、「京セラ
ドーム大阪」が曲がりくねっています。「岩崎橋」南詰まで歩いてきて初めて、大道具の
バイトに勤しんでいた時代(2010~2011年)、会場設営で何度となく渡った橋だったと
思い出しましたよ。ガチ袋をぶら下げ、とぼとぼと歩いていたっけ。どろどろの朝帰り。
☆

初めての鉄筋コンクリート橋 だったそうです。昭和40年
(1965)、昭和49年(1974)の2回に分けて鋼桁に架け
替えられ、橋長75.60m、幅員19.30m。元は木津川と
尻無川を結んでいた岩崎運河(開削が大正9年)が、現・
尻無川の上流に組み込まれ、江戸時代の尻無川の上流
(ドーム直下を含む)は埋め立てられている現状です。
そして、左画像が、「木津川橋梁」と“双子の鉄橋”と
呼ばれている「岩崎運河橋梁」。通常のトラス橋の倍の
高さともなるダブルワーレントラス形式ですが、「木津川
橋梁」と違って、すぐ東側に近接している「岩崎橋」から
至近距離で、しげしげと見入り、その大きさを堪能できる
のであります。橋長91mといいますが、高さはいかほど
かしら。「今昔マップ3」を眺めていれば、その周辺でも
探索すべき物件がちらほらと、目に飛び込んでくるのね。
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