豊年橋
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水系の河川です。檜隈(ひのくま)川、
久米川との別名も有り。水源は奈良県
高市郡高取町の高取城跡といいます
から、「壺阪寺」の近くでしたか。その
高取川に架かる「豊年橋」は、「檜隈墓
(吉備姫王墓)」を離れて、近鉄・飛鳥
駅に向かっている折に、出合いました。
何ということもない地味な桁橋ですが、
西詰に建つ灯籠や道標に目が留まり、
さらに灯籠の左手(南側)に設置された
「ほうねん橋の碑」に驚かされます。
かつて、どれだけ立派な橋だったこと
やら。道標に「寛政八年(1796)丙辰
秋九月橋成」(西面)と刻まれ、北面
(正面?!)に「ほう称ん橋」、東面には
「こんかう山ミち(金剛山道)」との
文字が読み取れます。現在の橋は、
国道169号の改修に伴い、昭和36年
(1961)に架け替えられた物。前身は
寛政8年、明日香村出身にして高取藩
第9代藩主・植村家長の侍医であった
服部宗賢が架けた石橋で、その年は
五穀が大いに実ったとか(⇒豊年)。
オリジナルの「豊年橋」に使用されて
いた石材が、「ほうねん橋の碑」に
流用されており、材質は石英閃緑岩。
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