★ 2023年10月に読んだ本 ★
山田風太郎『忍法関ヶ原』(講談社文庫)……表題作の他、「忍法天草灘」、「忍法
甲州路」、「忍法小塚ッ原」、「忍法聖千姫」、「忍法ガラシヤの柩」「忍法幻羅吊り」、
「忍法瞳録」、「忍法死のうは一定」と、計9編を収録。これだけ愉快なのに、しばらく
経つと、全体はしっかりと思い出せなくなっている不思議。また、手を伸ばす、と。
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 18』(デアゴスティーニ・
ジャパン)……JACKIE MCLEAN は、いかにもジャズですね。悪くはないんですよ。
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 19』(デアゴスティーニ・
ジャパン)……JIMMIE SMITH は、割と聴いてきた部類。手元に『RESPECT』
(1967)、『Talkin' Verve:Roots of Acid Jazz』(1996)のCDが残っていました。
小林一三『逸翁自伝』(阪急電鉄)……副題に「青春そして阪急を語る」。講談社
学術文庫版とどう異なるのか、気になっているので、後日、読む比べてみます。
田辺青蛙『大阪怪談』(竹書房)……「au PAY マーケット」で買い物していたつもりが、
誤って「au ブックパス」で電子書籍版を購入。フラットな文章で読み易かったから良し。
田辺青蛙『大阪怪談 人斬り』(竹書房)……流れで、「au ブックパス」を再び利用。
青蛙が女性で、夫が円城塔と知り、今更驚いています(どちらも読んできただけに)。
星新一『明治の人物誌』(新潮文庫)
……星新一は高校生くらいに読んだきり。もう読むことはないだろうと漠然と思って
いたところ、まさかの再会。取り上げられた人物の選択にも唸らされ、特に 岩下清周
と杉山茂丸(彼の長男が夢野久作)には瞠目。読むべき本のリストが無限に広がり。
遠藤周作『白い人・黄色い人』(新潮文庫)
……10月の「二人の読書会」のテクスト。山田風太郎の切支丹物の方が、ぼくの
性分です。昔から敬遠してきた作家ですが、この際ですから、代表作は押さえます。
『週刊 日本の神社 No.68』(デアゴスティーニ・ジャパン)
……生國魂神社・大阪天満宮・今宮戎神社の3社を取り上げていました。
遠藤周作『海と毒薬』(角川文庫)……昭和20年(1945)の「相川事件」が元ネタ。
遠藤周作『沈黙』(新潮文庫)
……クリストヴァン・フェレイラ(=沢野忠庵)は非常に興味深い人物ですけれども、
やはり、風太郎の描き方の方に理があります。棄教するならば、自殺も可能ですし。
ユダをキリストは赦したのか否か?という問題とは別に、好きでそれを選んだ、と。
サディズムをどこまで理解しているか?という別次元の問題軸を据えた上での議論。
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 20』(デアゴスティーニ・
ジャパン)……FREDDIE HUBBARD は耳に馴染みます。CDスタンドもゲットしました。
編者=生きた建築ミュージアム大阪実行委員会
『生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2023 公式ガイドブック』(生きた建築
ミュージアム大阪実行委員会)……英語名称が「OPEN HOUSE OSAKA 2023」。
甲州路」、「忍法小塚ッ原」、「忍法聖千姫」、「忍法ガラシヤの柩」「忍法幻羅吊り」、
「忍法瞳録」、「忍法死のうは一定」と、計9編を収録。これだけ愉快なのに、しばらく
経つと、全体はしっかりと思い出せなくなっている不思議。また、手を伸ばす、と。
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 18』(デアゴスティーニ・
ジャパン)……JACKIE MCLEAN は、いかにもジャズですね。悪くはないんですよ。
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 19』(デアゴスティーニ・
ジャパン)……JIMMIE SMITH は、割と聴いてきた部類。手元に『RESPECT』
(1967)、『Talkin' Verve:Roots of Acid Jazz』(1996)のCDが残っていました。
小林一三『逸翁自伝』(阪急電鉄)……副題に「青春そして阪急を語る」。講談社
学術文庫版とどう異なるのか、気になっているので、後日、読む比べてみます。
田辺青蛙『大阪怪談』(竹書房)……「au PAY マーケット」で買い物していたつもりが、
誤って「au ブックパス」で電子書籍版を購入。フラットな文章で読み易かったから良し。
田辺青蛙『大阪怪談 人斬り』(竹書房)……流れで、「au ブックパス」を再び利用。
青蛙が女性で、夫が円城塔と知り、今更驚いています(どちらも読んできただけに)。
星新一『明治の人物誌』(新潮文庫)
……星新一は高校生くらいに読んだきり。もう読むことはないだろうと漠然と思って
いたところ、まさかの再会。取り上げられた人物の選択にも唸らされ、特に 岩下清周
と杉山茂丸(彼の長男が夢野久作)には瞠目。読むべき本のリストが無限に広がり。
遠藤周作『白い人・黄色い人』(新潮文庫)
……10月の「二人の読書会」のテクスト。山田風太郎の切支丹物の方が、ぼくの
性分です。昔から敬遠してきた作家ですが、この際ですから、代表作は押さえます。
『週刊 日本の神社 No.68』(デアゴスティーニ・ジャパン)
……生國魂神社・大阪天満宮・今宮戎神社の3社を取り上げていました。
遠藤周作『海と毒薬』(角川文庫)……昭和20年(1945)の「相川事件」が元ネタ。
遠藤周作『沈黙』(新潮文庫)
……クリストヴァン・フェレイラ(=沢野忠庵)は非常に興味深い人物ですけれども、
やはり、風太郎の描き方の方に理があります。棄教するならば、自殺も可能ですし。
ユダをキリストは赦したのか否か?という問題とは別に、好きでそれを選んだ、と。
サディズムをどこまで理解しているか?という別次元の問題軸を据えた上での議論。
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 20』(デアゴスティーニ・
ジャパン)……FREDDIE HUBBARD は耳に馴染みます。CDスタンドもゲットしました。
編者=生きた建築ミュージアム大阪実行委員会
『生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2023 公式ガイドブック』(生きた建築
ミュージアム大阪実行委員会)……英語名称が「OPEN HOUSE OSAKA 2023」。
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夕霧そば

まち歩き「天満寺町を歩く」の下見を有志と行いました。
当日に合わせて、南森町を13時にスタート。東端の
「専念寺」からではなく、「寳珠院」から西進しています。
菅原山「天満寺 寳珠院」では、御朱印も頂きましたよ。
旧「天満堀川」跡を越え、天満西寺町に入ると、寺町通り
から北に外れ、「龍神大神」~「太融寺」を回った後、
南下して、「露天神社」で締め。意外に、時間配分は問題
無さげ。地味なように見えて、面白いtips は多々有り。
どう、参加者に伝えたものかしら? 15時で一旦散会後、
夕霧そば「瓢亭」に入店。名物の“夕霧そば”は、近松
門左衛門を書き換えた『廓文章』吉田屋の夕霧太夫に
因んだネーミング。「露天神社」の東門を出てすぐの立地
ですから「お初そば」は当然、『八重霞浪花浜荻』 の
「かしくそば」もメニューに載っています。「夕霧そば」は
昔、頂きましたかねえ。今回は「法清寺」も訪ねたことですし、「かしくそば」を所望。
☆
ガイドのシナリオを作り込む必要は感じていなかったのですが、歴史探偵の脳細胞を
刺激してやまない小ネタがざっくざく。相方と「大阪天神橋カレー」(大阪市北区天神橋
5-7−8)で夕飯を頂きながら、クール・ダウンを図ります。今週末も過密スケジュール。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
とびたつ
「大商(=大阪商工会議所)」の前身、「大阪商法会議
所」は明治11年(1878)、高麗橋通に設立されていました。
「みちのく」の建つ「三菱UFJ銀行」の北東角に「大阪商法
会議所跡」碑が設置されています。設立の儀願書に連署
した15人の中には磯野小右衛門、芝川又平、藤田伝三郎、
広瀬宰平、五代友厚らの名が見えます。「大阪商業会議
所」への改組が明治24年(1891)。同じ頃、「西朝陽館」
の在った堂島に再移転。昭和29年(1954)、現行の「大阪
商工会議所」に改組すると、昭和46年(1971)、現在地
(大阪市中央区本町橋2番8号)に移転したのでした。さて、
同会議所のエントランスに飾られているのが、「1978年
9月 大阪商工会議所創立100周年」――と併記された
松岡阜・作「とびたつ」なのであります。松岡阜(1923~
2008)のまた別な作品の情報を見かけましたので、調査を
行う必要有り。地縁なのか、何なのか、リンクしてきますね。

所」は明治11年(1878)、高麗橋通に設立されていました。
「みちのく」の建つ「三菱UFJ銀行」の北東角に「大阪商法
会議所跡」碑が設置されています。設立の儀願書に連署
した15人の中には磯野小右衛門、芝川又平、藤田伝三郎、
広瀬宰平、五代友厚らの名が見えます。「大阪商業会議
所」への改組が明治24年(1891)。同じ頃、「西朝陽館」
の在った堂島に再移転。昭和29年(1954)、現行の「大阪
商工会議所」に改組すると、昭和46年(1971)、現在地
(大阪市中央区本町橋2番8号)に移転したのでした。さて、
同会議所のエントランスに飾られているのが、「1978年
9月 大阪商工会議所創立100周年」――と併記された
松岡阜・作「とびたつ」なのであります。松岡阜(1923~
2008)のまた別な作品の情報を見かけましたので、調査を
行う必要有り。地縁なのか、何なのか、リンクしてきますね。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
イケフェス2023(2)

ミュージアムフェスティバル大阪2023」ですが、2日
目は10時、「みおつくしプロムナード」に集合。「淀屋橋」を
渡りますと、H さんが「大阪シティ信用金庫」に入って行き
ました(私用)。「トレードピア淀屋橋」(北浜銀行跡)を
うろうろした後、「東畑建築事務所」に入り、本日最初の
スタンプをゲット。東畑謙三と言えば、やっぱり、「大阪
駅前第1ビル」&「同第4ビル」。同事務所は“編鐘”
(古代中国の青銅器)をテーマに特別展示を行っており、
恒例の招福羊羹(井村屋)も頂きました。次に向かった
「伏見町 旧宗田家住居」は既に出来上がっていた長蛇
の列にげんなり。「伏見ビル」~「青山ビル」と流して行く
つもりが、「青山ビル」に引き込まれて、(おそらくは)
オーナー夫人から貴重なお話をお聞かせいただきました。
「旧小西家住宅史料館」、「生駒ビルヂング」を眺め(その
都度、パブリック・アートも押さえ)つつ、堺筋を南下。「フジカワビル」の内部に立ち入れ
なかったのは残念ですが、またの機会に。「大阪商工信用金庫」本店ビル(設計:安藤
忠雄)を斜め向かいに見て、本町通を東進。「本町橋」をゆっくり渡り、「β本町橋」や
「宇野薬局」を確認し、「大阪商工会議所」や「マイドームおおさか」の周囲をぐるり
と回れば、相変わらず、ネタの収蔵庫状態(まとめる際には、一苦労させられそう)。
「船場センタービル」を西へ歩いてもよかったのですが、1日乗車券(中央線新型車両
400系登場記念)を持ってきたので、Osaka Metro を利用し、堺筋本町~本町まで。
日曜日は「船場センタービル」の飲食店の大半が休業しているため、丼池筋のカレー屋
本舗「カサ・デューク」(大阪市中央区本町3-2−1)で昼食としました。折り返しかな。
☆
「久米設計」大阪支社(大阪市中央区本町4-3-9)にお邪魔し、ノルマのスタンプ
4個を達成。「本願寺津村別院(北御堂)」の設計は岸田日出刀……「リバーサイド
ビルディング」には足を運べず。「輸出繊維会館」前で立ち止まり、まだ、村野藤吾を
観ることが出来る日だと心を弾ませ。セッケイ・ロードから引っ越していた「日建設計」
大阪オフィス(大阪市中央区瓦町3-6-5)に上がり、スタンプと共にプレゼント(宮沢
洋のイラストの描かれたクリアファイル)を貰いました。しかし、「清水猛商店」より「木村
商店」の方が妙に引っ掛かるのよねえ。似たような意味で、ぼくが個人的に惹かれた
物件が、左上画像の「good time DanDan」(あお建築設計)。「綿業会館」が全く
記憶に残っていないのはどうしたことか? そのまま、三休橋筋を北上して、「田辺三菱
製薬」本社ビルを過ぎ……「日本基督教団 浪花教会」の行列に怖気を震い、「オペラ・
ドメーヌ高麗橋」、「グランサンクタス淀屋橋」を賞玩した後、「芝川ビル」の屋上
テラスに上がって、ほっこりと和むのでした。終盤に近付くと、馴染んだビルに甘えたく
なります。Osaka Metro・御堂筋線に乗って、淀屋橋からなんばへ移動。「ユニバース
横町」と「味園ユニバース」を懐かしみ、「日本橋の家」も訪問しましたよ。「国立文楽
劇場」から北へ上がり、「自安寺」を拝観。近日、再訪しなければならないし、御朱印も
頂こうと企図しています。「日本橋」を北へ渡り、道頓堀川の北岸から眺めると良い感じ。
「浪花組」大阪本社、「日本基督教団 島之内教会」、「大成閣」、「大阪農林会館」、
「原田産業」、「大阪写真会館」……と久闊を叙し、「堺筋倶楽部」(パンとエスプレッソ
と堺筋倶楽部)の前で散会。「長堀橋」跡に声を掛け、長堀橋を発つのでありました。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
イケフェス2023(1)
半ドンで仕事を上がり、12時30分、Hさんと1年ぶりに再会。
満を持して、「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪
2023(OPEN HOUSE OSAKA 2023)」=「イケフェス
大阪」に参加するのでありました。今年で10回目となる公開
イベントは、社団法人を設立して、事業が移行されるそうです。
まずはOsaka Metro・梅田駅の南改札口(大阪駅前地下道
東広場)に集合。「梅田新歩道橋(阪急阪神連絡デッキ)」
上から、「阪急百貨店」や「大阪富国生命ビル」、「梅田吸気
塔」を眺め、「大阪駅前第1ビル」へ移動し、賑わう「マヅラ」や
「King of Kings」を愛惜しつつ、四つ橋筋に上がると、「堂島
薬師堂」や「相互タクシー」北新地のりば等を押さえながら、
「堂島サンボア」へ向かえば酷い行列。13時30分~14時30分
の間の特別公開ですが、並んで待っている悠長さは無いから、
JR東西線に乗り、北新地から大阪天満宮へ移るのであります。
☆
日本基督教団「天満教会」の礼拝堂
(右画像)で、パイプオルガンによるプチ・
コンサートを聴き、「北村商店 一番蔵」
では、天満堀川の話柄で盛り上がって
しまいました。「大阪弁護士会館」を背に
「難波橋」を渡り、「光世証券」本社ビル
(設計:永田祐三)11Fホールのバレエ・
パフォーマンス「tension」は軽くスルー。
「ハドソンストリート」の前を過ぎ、昨年は
入れなかった「浦辺設計」が、今年の「セッケイ・ロード」スタンプ・ラリーでの初押し。
浦辺鎮太郎の建築は、意外と目にしていたのよねえ。青木野枝の「空の粒子/
パッセージ 2015」や「空の粒子Ⅱ/パッセージ 2022」を愛でた後、Osaka
Metro・御堂筋線に乗って、淀屋橋から中津まで北上。「昭和設計」で2つ目の
スタンプを押し、「豊崎神社」に詣でています。晩酌は、大衆酒場「いこい」にて。
満を持して、「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪
2023(OPEN HOUSE OSAKA 2023)」=「イケフェス
大阪」に参加するのでありました。今年で10回目となる公開
イベントは、社団法人を設立して、事業が移行されるそうです。
まずはOsaka Metro・梅田駅の南改札口(大阪駅前地下道
東広場)に集合。「梅田新歩道橋(阪急阪神連絡デッキ)」
上から、「阪急百貨店」や「大阪富国生命ビル」、「梅田吸気
塔」を眺め、「大阪駅前第1ビル」へ移動し、賑わう「マヅラ」や
「King of Kings」を愛惜しつつ、四つ橋筋に上がると、「堂島
薬師堂」や「相互タクシー」北新地のりば等を押さえながら、
「堂島サンボア」へ向かえば酷い行列。13時30分~14時30分
の間の特別公開ですが、並んで待っている悠長さは無いから、
JR東西線に乗り、北新地から大阪天満宮へ移るのであります。
☆
日本基督教団「天満教会」の礼拝堂

(右画像)で、パイプオルガンによるプチ・
コンサートを聴き、「北村商店 一番蔵」
では、天満堀川の話柄で盛り上がって
しまいました。「大阪弁護士会館」を背に
「難波橋」を渡り、「光世証券」本社ビル
(設計:永田祐三)11Fホールのバレエ・
パフォーマンス「tension」は軽くスルー。
「ハドソンストリート」の前を過ぎ、昨年は
入れなかった「浦辺設計」が、今年の「セッケイ・ロード」スタンプ・ラリーでの初押し。
浦辺鎮太郎の建築は、意外と目にしていたのよねえ。青木野枝の「空の粒子/
パッセージ 2015」や「空の粒子Ⅱ/パッセージ 2022」を愛でた後、Osaka
Metro・御堂筋線に乗って、淀屋橋から中津まで北上。「昭和設計」で2つ目の
スタンプを押し、「豊崎神社」に詣でています。晩酌は、大衆酒場「いこい」にて。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
K2 Bldg.
10時から、「北区ぶらぶら2023」第5回を実施。
今回はサポートに徹していられますし、メインは
「造幣博物館」の見学ですから、肩の力を抜き、
あっさりと終わっています。正午に解散しました。
☆
「桜宮橋」を東へ渡って行く半ば、I さんを追い越したと
気付き。ガイド中は一緒の班でしたし、気兼ねさせない
優しい人です。京橋まで無駄口を叩きながら同道して、
「ブックオフ」京阪京橋店で別れました。ぼくの目的は
一日早い「イケフェス大阪」の特別公開が行われている
「K2ビルディング」(大阪市都島区東野田町2-9-7)
です。本日(10月27日)10~14時に限って1階の共用
部を開放していると知った以上は、使命感……ぱっと見、
いつでも、すっと入れる雰囲気でしたけれども。設計は
篠原一男(1925~2006)。内部に足を踏み入れると、
露骨に幾何学的・抽象的な空間。思わず笑い出しそうに
なりまして、ただ、外面も随分と尖っているのに、周囲に
埋もれかねないように見えてくるのは、“京橋”という
土地柄の魔力かしら。天満に帰ると、北区役所で住民
票の写しを請求。酒田市から「雪若丸」を受け取りました。
今回はサポートに徹していられますし、メインは
「造幣博物館」の見学ですから、肩の力を抜き、
あっさりと終わっています。正午に解散しました。
☆

気付き。ガイド中は一緒の班でしたし、気兼ねさせない
優しい人です。京橋まで無駄口を叩きながら同道して、
「ブックオフ」京阪京橋店で別れました。ぼくの目的は
一日早い「イケフェス大阪」の特別公開が行われている
「K2ビルディング」(大阪市都島区東野田町2-9-7)
です。本日(10月27日)10~14時に限って1階の共用
部を開放していると知った以上は、使命感……ぱっと見、
いつでも、すっと入れる雰囲気でしたけれども。設計は
篠原一男(1925~2006)。内部に足を踏み入れると、
露骨に幾何学的・抽象的な空間。思わず笑い出しそうに
なりまして、ただ、外面も随分と尖っているのに、周囲に
埋もれかねないように見えてくるのは、“京橋”という
土地柄の魔力かしら。天満に帰ると、北区役所で住民
票の写しを請求。酒田市から「雪若丸」を受け取りました。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
関大・福島学舎
「関西大学のあゆみ」から抜粋――。
☆
明治19年(1886) “関西初の法律学校”として、大阪西区京町堀の「願宗寺」に
「関西法律学校」を設立。大阪東区淡路町に校舎を移転。
明治20年(1887) 大阪北区河内町の「興正寺」に校舎を移転。
明治36年(1903) 大阪市西区江戸堀に2階建校舎を新築。
明治38年(1905) 「私立関西大学」と改組・改称。
明治39年(1906) 大阪市北区上福島に福島学舎を建設し、移転。
大正11年(1922) 千里山に学舎を新設。大学令で「関西大学」として認可。
昭和4年(1929) 大阪市大淀区長柄に天六学舎を新設し、
福島学舎から専門部を移転。
☆
学舎の変遷のみに気を配っています。
左の画像は、あみだ池筋に面している
「大包ビル」(大阪市福島区福島7-
17-9)。「関西大学福島学舎記念
碑」が設置されていました。大阪市の
市電敷設計画によって、江戸堀校舎
から移転を決定。敷地は千坪余りで、
12月17日の建設。約22年後(9月
16日)、今度は東海道本線拡幅工事
のため、天六学舎に移転せざるを得なくなりました。天六学舎の跡も近いうち、撮影に
行こう。翌日は「興正寺」跡(=滝川公園)に足を運ぶので、手持ちの資料を再確認。
☆
明治19年(1886) “関西初の法律学校”として、大阪西区京町堀の「願宗寺」に
「関西法律学校」を設立。大阪東区淡路町に校舎を移転。
明治20年(1887) 大阪北区河内町の「興正寺」に校舎を移転。
明治36年(1903) 大阪市西区江戸堀に2階建校舎を新築。
明治38年(1905) 「私立関西大学」と改組・改称。
明治39年(1906) 大阪市北区上福島に福島学舎を建設し、移転。
大正11年(1922) 千里山に学舎を新設。大学令で「関西大学」として認可。
昭和4年(1929) 大阪市大淀区長柄に天六学舎を新設し、
福島学舎から専門部を移転。
☆

左の画像は、あみだ池筋に面している
「大包ビル」(大阪市福島区福島7-
17-9)。「関西大学福島学舎記念
碑」が設置されていました。大阪市の
市電敷設計画によって、江戸堀校舎
から移転を決定。敷地は千坪余りで、
12月17日の建設。約22年後(9月
16日)、今度は東海道本線拡幅工事
のため、天六学舎に移転せざるを得なくなりました。天六学舎の跡も近いうち、撮影に
行こう。翌日は「興正寺」跡(=滝川公園)に足を運ぶので、手持ちの資料を再確認。
tag : 史跡
梅ヶ枝橋の謎
旧「天満堀川」跡に架かっている「梅ヶ枝橋」の西詰には、
フェンスで囲まれた緑地帯が在り、「梅ヶ枝橋」の橋名板
らしき物(親柱付き!)が見えるのは知っていますね。
僥倖にも接近できる機会を得たもので、接写を行ってみた
のですが、橋名板以外の何の情報も得られず、空振り。
現在の「梅ヶ枝橋(扇町バイパス)」の架設が昭和46年
(1971)ですから、それ以前の親柱なのだろう……としか
推測できません。この橋名のどこが謎か?と言いますと、
架かっているポイントが末広町(いや、むしろ、南扇町)
であり、現在の大阪市北区西天満辺りに位置していた
旧“梅ヶ枝町”(大正13年~昭和53年の町名)とは若干
(数百m)距離があるのが、疑問。旧“梅ヶ枝町”は、明治
33年4月に出来た東梅ヶ枝町(西成川崎)と西梅ヶ枝町
(北野)が合併して成った町名でありました。探偵なりの
解答は既に見えてきているのですが、物証に欠けるため、
その証拠をフェンスの向こうの親柱に求めた訳でしたけれども。
実は、梅ヶ枝町、南扇町も、「天神祭」の神霊移御祭で知られる(御旅社を有する)
「綱敷天神社」の氏地なのです。例のオカルト人気の高い「xxx大明神」のお祓いを
行ったのも同社でしょう。思うに、南扇町の一帯が「綱敷天神社」の氏地であれば、
同社の属する神山町と接していることもあり、北の“梅ヶ枝町”と呼ばれて、不思議は
ないように思え……非常に想像力を刺激する文章を「大阪天満宮」の社報に発見。
☆
綱敷天神社の御旅所は、元は太融寺町の「梅塚」にあったのですが、明治五年に「才田」に移され、その翌年には現在の茶屋町に移り、現在に至っています。
「才田」とは文化一〇年(一八一三)ころに「梅ヶ枝新地」と呼ばれた地で、のちに「梅ヶ枝町北」と名付けられました。
☆
「梅ヶ枝町北(才田)」が、現在の南扇町辺りであれば、Q.E.D. ではないでしょうか?
しかし、「梅ヶ枝町」の北に別の“梅ヶ枝町”が在るのではなくて、旧来の「梅ヶ枝町」を
北と南に分けただけの(振興町会)名だとすれば、また、別の線を探らねばなりません。
参考文献:「大阪天満宮社報 第58号 てんまてんじん」(大阪天満宮社務所)

フェンスで囲まれた緑地帯が在り、「梅ヶ枝橋」の橋名板
らしき物(親柱付き!)が見えるのは知っていますね。
僥倖にも接近できる機会を得たもので、接写を行ってみた
のですが、橋名板以外の何の情報も得られず、空振り。
現在の「梅ヶ枝橋(扇町バイパス)」の架設が昭和46年
(1971)ですから、それ以前の親柱なのだろう……としか
推測できません。この橋名のどこが謎か?と言いますと、
架かっているポイントが末広町(いや、むしろ、南扇町)
であり、現在の大阪市北区西天満辺りに位置していた
旧“梅ヶ枝町”(大正13年~昭和53年の町名)とは若干
(数百m)距離があるのが、疑問。旧“梅ヶ枝町”は、明治
33年4月に出来た東梅ヶ枝町(西成川崎)と西梅ヶ枝町
(北野)が合併して成った町名でありました。探偵なりの
解答は既に見えてきているのですが、物証に欠けるため、
その証拠をフェンスの向こうの親柱に求めた訳でしたけれども。
実は、梅ヶ枝町、南扇町も、「天神祭」の神霊移御祭で知られる(御旅社を有する)
「綱敷天神社」の氏地なのです。例のオカルト人気の高い「xxx大明神」のお祓いを
行ったのも同社でしょう。思うに、南扇町の一帯が「綱敷天神社」の氏地であれば、
同社の属する神山町と接していることもあり、北の“梅ヶ枝町”と呼ばれて、不思議は
ないように思え……非常に想像力を刺激する文章を「大阪天満宮」の社報に発見。
☆
綱敷天神社の御旅所は、元は太融寺町の「梅塚」にあったのですが、明治五年に「才田」に移され、その翌年には現在の茶屋町に移り、現在に至っています。
「才田」とは文化一〇年(一八一三)ころに「梅ヶ枝新地」と呼ばれた地で、のちに「梅ヶ枝町北」と名付けられました。
☆
「梅ヶ枝町北(才田)」が、現在の南扇町辺りであれば、Q.E.D. ではないでしょうか?
しかし、「梅ヶ枝町」の北に別の“梅ヶ枝町”が在るのではなくて、旧来の「梅ヶ枝町」を
北と南に分けただけの(振興町会)名だとすれば、また、別の線を探らねばなりません。
参考文献:「大阪天満宮社報 第58号 てんまてんじん」(大阪天満宮社務所)
ぶらり中之島

研修を(加入して一年経過した)新人
ボランティアが実施。10時スタートで、
街歩きのテーマは、同じく「中之島の
魅力ある建築物と歴史を知る」です。
ぼくと同班だったKさんを含め、堂々と
落ち着いた案内ぶりに、ぼく自身は
裏方に退いてもよいなあ、と思うくらい。
「大阪市中央公会堂」と「堂島関電
ビル」(積水グループが入居)の間に、「大阪マルビル」が見えたのが、妙に感動的。
120分の持ち時間に対し、全5班が11時半過ぎには終了していて、怪訝に感じました。
昼時分で「大阪府立中之島図書館」に上がり、「イラスト名建築ぶらり旅・原画展」
と「写真帖 絵葉書でみる大阪の近代建築」をじっくりと観ましたよ。取り寄せるべき
資料も1点有り。Yさんに非常によく似た人を見かけるも、正面に回って確認して人違い
だと難儀ですし、近付いたところ、スルーされ続けたのは、病的な集中力か、よっぽど、
ぼくが忌避されているのでしょうね。13時から「京阪淀屋橋ビル」3Fに昇り、「AP大阪
淀屋橋」にて反省会。皆さん、大人ですから、事は荒立てません。15時前に散会し、
天満堀川跡を遡って帰途に就きました。「樽屋橋」南側の「お吉稲荷大明神」を巡回。
「堀川戎神社」内の「榎木神社(地車稲荷神社)」の前で相変わらず首を傾げた後、
「梅ヶ枝橋」の特別撮影(?!)にチャレンジ。謎の周縁をぐるぐる回りながらも、核心は
逃していない感触を覚えており……「一品居 蘭州牛肉麺」で相方と夕飯を頂きました。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
大阪府立狭山池博物館
今週末は「生きた建築ミュージアム
フェスティバル大阪 2023(OPEN
HOUSE OSAKA 2023)」なのです
けれども、公開される建物が160超
……観られる訳、ないじゃないですか
(全部観たいけど)。画像は街道巡りの
際に足を運びました「大阪府立狭山池
博物館」。安藤忠雄建築研究所の
設計。建築物自体の完成が平成11年
(1999)、開館は平成13年(2001)と
なります。安藤忠雄の建築は、海とか
山とか、大きな池とか……言葉は悪い
けれど、野ざらしの空間にぽんと投げ
出されたような風情が非常に似合う
ように思います。偏見かもしれませんが、
ぬくぬくとした小市民的な居心地の良さ
からは、敢えて距離を置こうとしている
みたく……飛鳥時代に造られ、改修を
重ねられてきた狭山池の堤の実物
(高さ16m、幅62m)を館内に移築展示しています。
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フェスティバル大阪 2023(OPEN
HOUSE OSAKA 2023)」なのです
けれども、公開される建物が160超
……観られる訳、ないじゃないですか
(全部観たいけど)。画像は街道巡りの
際に足を運びました「大阪府立狭山池
博物館」。安藤忠雄建築研究所の
設計。建築物自体の完成が平成11年
(1999)、開館は平成13年(2001)と
なります。安藤忠雄の建築は、海とか
山とか、大きな池とか……言葉は悪い
けれど、野ざらしの空間にぽんと投げ
出されたような風情が非常に似合う
ように思います。偏見かもしれませんが、
ぬくぬくとした小市民的な居心地の良さ
からは、敢えて距離を置こうとしている
みたく……飛鳥時代に造られ、改修を
重ねられてきた狭山池の堤の実物
(高さ16m、幅62m)を館内に移築展示しています。
tag : 建築