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平八郎終焉の地

こんなのものは雨じゃない。傘を差さず、2023_11_10_大塩平八郎終焉の地
本町駅・28番出口から「靱公園」まで
北上しました。会場の「靱会館」に入る
前、靱中通の南側に在った創業・安政3
年の鰹節問屋「カネマン村瀬」(大阪市
西区靱本町1-15−16)に引き込まれて
しまいましたけれども……2年半前に
「靱公園」一画に「大塩平八郎終焉の
」碑が移設されていることを記念し、
大塩事件研究会」と靱連合振興町会の主催により、日時限定の展示会「大塩
平八郎と大阪
」が開かれています。前日14~16時、この日(10日)10~15時の
間のみとあれば、なかなかに気忙しい。入ってみると、教えてくれたEさんだけでなく、
ガイド仲間のMさんの姿も見え、笑ってしまいました。会員勧誘も目的の一つですか。
碑は当初、大塩平八郎の乱160周年記念事業として、平成9年(1997)9月27日、
終焉の地に程近い「天理教飾大(しきだい)分教会」の前に建てられるも、分教会の
建て替え計画に伴い、現在地に移設された模様。研究会の作成文は以下のとおり。
       ☆
 大塩平八郎中斎(一七九三~一八三七)は、江戸時代後期大坂町奉行所の与力で、陽明学者としても知られ、世を治める者の政治姿勢を問い、民衆の師父と慕われた。天保八年(一八三七)二月十九日 飢饉にあえぐ無告の民を救い、政治腐敗の根源を断とうとして、門人の武士・農民等を率いて決起した。
 乱後 大塩平八郎は・格之助父子は、この地に隣接した靱油掛町の美吉屋五郎兵衛宅に潜伏したが、同年三月二十七日 幕吏の包囲のうちに自焼して果てた。民衆に呼びかけた檄文は、密かに書き写され、全国にその挙を伝えた。大塩の行動は新しい時代の訪れを告げるものであり、その名は今もなお大阪市民に語り継がれている。
 決起百六十年に当たり、全国の篤志を仰いで ここに建碑する。
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テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
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