戦前における満州大豆の位置付け

北大路魯山人が昭和8年(1933年)に著した『美味い豆腐の話』で、おいしい湯豆腐の食べ方を指南している。何と言っても、豆腐のいいのを選ぶことがいちばん大切だ、と至極真っ当なことを語り、そのおいしい豆腐をどこで買い求めたらよいか?というと、ずばり、京都だと即答。「京都は古来水明で名高いところだけに、良水が豊富なため、いい豆腐ができる。また、京都人は精進料理など、金のかからぬ美食を求めることにおいて第一流である。そういうせいで、京都の豆腐は美味い」とべた褒めである。

しかし「それなら、京都の豆腐は今なおどこでも美味いかというと、どっこい、そうはいかない。今日では水明の都でも、水道の水と変り、豆をすることは電動化して、製品はすべて機械的になってしまったのみならず、経済的に粗悪な豆(満州大豆)を使うようになったりなどして、京都だからとて、美味い豆腐は食べられなくなってしまった」と留保をつける。

1933年当時、日本国内における大豆の収獲量36万2,174トン(作付面積32万6,370町)に対して、全輸入量は62万1,648トン、そのうち中国が43万4,634トン(69.9%)、朝鮮が18万6,924トン(30.01%)となっている。全輸入大豆の7割を占める中国産大豆への依存度は、さしずめ、現在の米国産大豆に匹敵するだろう。ブラジル、カナダといった別な生産国の選択肢も見えなかっただけに、より状況は深刻ともいえる。

国産大豆よりも安い価格で満州から輸入された大豆は、まず都市において豆腐、納豆、味噌、醤油などの製造業者の原料大豆市場に進出した。特に醸造工場が発達して、都市だけでなく、農村へもその製品が普及するにつれて、従来農村で自給していた味噌、醤油は徐々に都市の醸造工場の製品に置き換えられていった。それに伴って、農家での原料大豆の生産は中止されることになった。すなわち農業における商品生産が発展し、農家が購買力を持つようになったため自給生産の体制が崩れたわけである。

参考文献:北大路魯山人『魯山人味道』(中公文庫)中村博『大豆の経済-世界の大豆生産・流通・消費の実態』(幸書房)
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通りすがりの夢想家。元(にして最後の)「トーヨー新報」編集人。現在は、一介の編集素浪人?



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「トーヨー新報」は、昭和33年(1958)創刊。大豆加工品(豆腐・油揚げ、納豆、豆乳、湯葉、凍り豆腐、もやし等)、こんにゃく、総菜業界をメイン購読者層に、月3回の旬刊紙「トーヨー新報」や業界関連データブック『豆腐年鑑』を発行。平成25年(2013)12月21日号、第1851号をもって終刊に至る。

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