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大豆のある農村風景

小説家・ルポライターの井出孫六(1931年〜)は、長野県南佐久郡臼田町(現・佐久市)出身。彼の生まれ育った昭和初期の農村風景を「ツンと鼻をつく刺激臭」というエッセーで点描している。そこには自然な大豆の姿がある。

わたしの郷里では、春、田圃に水が張られると、お百姓さんはまるで壁屋も顔負けなほど念入りに、たっぷりと水をふくんだ泥土で畦を塗り固めていく。畦の上で乾かぬうちに、およそ三〇センチほどの間隔に鍬の柄で穴があけられていき、そこに大豆を二、三粒ずつ蒔いたあと、焼き籾殻を埋め込んでいく。田植えが終わったころ、畦には大豆が芽を出し、稲の生長を追いかけるように、葉を繁らせていく。畦に植えられた大豆は、川の堤の桜並木と同様、根を張って、梅雨時の長雨や二百十日のころの台風にそなえて田圃の決壊を防ぐのに役立っていることを知った。

大豆は別名「あぜ豆」とも呼ばれている。あまりにその印象が強かったためか、後の文章で井出は「大豆は畦でのみ作られる作物だと、わたしは信じてきたような気がする」と書くほどである。

稲刈りがすむと、畦には霜にうたれて葉を落とした大豆の列だけが残るが、それを引き抜くと、根にはビー玉ほどの粒子が数珠つなぎになって現れる。それは大豆の枝が空気中に浮遊する窒素を吸ってできた塊で、大豆は空気中の窒素を土に還す役割までになっていたのかと感嘆したものだった。脱穀された大豆は農家の庭先で秋の陽をあびて乾燥されるが、そこからはお婆さんの管理化におかれ、豆腐や納豆になったり、味噌、醤油に姿を変えていくことになる。

大豆の窒素固定を行う根粒が「ビー玉ほどの粒子が数珠つなぎになって」と生々しく描写されている。「豆類といえば家畜の飼料としか考えられない欧米とちがって、日本人の食生活に占める比重は高く、なかでも大豆は米麦につぐほど大切な穀物でありつづけてきた」事実が、井出の郷里・佐久の農村風景と密接に結び付いている。エッセーの表題にある“刺激臭”とは、井出が母の生家でかいだ自家製のみその匂いのことである。

参考文献:『あの日、あの味 〜「食の記憶」でたどる昭和史〜』(東海教育研究所)
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