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浄正橋跡碑

浪華八百八橋」と呼ばれただけのことはありまして、2018_03_13_浄正橋跡碑2
今もなお、大阪市内には多くの橋、そして橋の痕跡が
残されています。地名に残る「~橋」などが顕著です。
橋が無くなるということは、(堀)川も消えてしまったと
いうことでもあり、近松門左衛門などを読んでいても
わかるのですが、現在の北新地のど真ん中には、
蜆川(=曽根崎川)が東西に流れていたようです。
架かっていた橋の一つが「浄正橋」となります。
交差点の名称として残っていますが、実際の橋はもっと
南寄り(大阪市福島区福島2-1-34)に在ったらしく、
浄正橋跡碑」が建っています。「蜆橋」や「桜橋
同様に、この石碑も歩道に埋もれていて、非常に残念。
より多くの大阪人に、自分らの伝統をリスペクトする意識を持ってほしいなあ。

2018_03_13_浄正橋跡碑1 ところで、今月の読書会のテクストが宮本輝
 『泥の河』でした。舞台は昭和30年(1955)の
 中之島の西端。昭和橋端建蔵橋舟津橋
 と、3つの橋が架かる辺りです。主人公となる
 うどん屋の息子、板倉信雄が水上生活者の
 友達・松本喜一と天神祭に出掛ける場面で、
 「信雄と喜一は仕方なく自分たちだけで
 近くにある浄正橋の天神さんに行くことに
 した
」と記されています。既に、その頃でも
浄正橋は名ばかりの存在なのですけれども……後の段落では、「近くといっても、
信雄の家から浄正橋までは歩いて三十分近くもかかる距離であった。堂島川の
ほとりを上っていき、堂島大橋を渡って北へ歩いていくうちに、お囃子の音が
大きく聞こえてきた
」と出てきて、土地勘があれば、愉しめます。なるほど、参道に
入って行くのであれば、玉江橋からではなく、堂島大橋から北上したのか、と。

参考文献:宮本輝『蛍川・泥の河』(新潮文庫)
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テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡小説

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
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