坂本の大文字納豆所

比叡山延暦寺の門前町として栄えた滋賀・坂本では、16世紀ごろ「大文字納豆所」が設けられ、糸引き納豆を商業的に製造・販売していたといわれている。『石川家文書』(丹七氏)によると、「三百余年前(元亀の昔)、吾祖石川丹左衛門が、豊太閤秀吉公が浅井朝倉征伐の際、軍馬の養いに坂本の煮豆を貢ぐべし」「俵に詰めて納めて程なく粘りを生し、糸を引き、秀吉が食べてみるに美味であった」という。それをきっかけにして納豆を作ったところ、「糸を引き、風味もあり、店を開き大文字納豆と唱え繁盛した」とある。同書の中では、納豆汁と納豆御飯の調理法も記されている。

比叡山に天台宗を開いた最澄(伝教大師)は、中国から持ち帰った茶の栽培を広め、また坂本に移住した渡来人の子孫ともいわれている。比叡山一帯は総本山・延暦寺を中心にした修行僧の道場となり、そのふもとの門前町が坂本だった。修行僧の日常食は禁欲的な精進料理である。コメ・豆・野菜を主体として、主要な総菜は湯葉のつけ焼き、「定心房」(稲わらで漬けたたくあん)、なめみそになる。

比叡山麓の農家では下山した僧侶に納豆などを振る舞う習慣があり、また納豆は僧侶の冬季の保存食として欠かせない食品だった。天台宗の法要には、「定心房」と納豆汁が供される。納豆汁は、納豆とみそをすりつぶして作られる。その際に、坂本で古くから作られてきたわらづと納豆が用いられたのである。

ところで糸引き納豆の発祥の由来について、石川家の祖先が軍馬に積み運んでいた大豆が発酵したという説は、東北地方における源義家を始祖とするものと同工異曲である。さらに近江の古い伝説では、湖東の百済寺に詣でた聖徳太子が帰途、横溝(現・湖東町)の民家で休息を取り、そこで馬の糧食だった大豆のあまりをわらづとに入れ、木の枝に掛けておいた。それが納豆になり、「横溝納豆」として知られるようになったなど、馬とわらづと納豆の縁は総じて深い。同じく納豆発祥の地として名の挙がる京都・京北町も、近江からそう離れていない。個々の史実はともかくとしても、糸引き納豆の故郷を畿内に求める説は数多い。

参考文献:滋賀の食事文化研究会・編『芋と近江のくらし』(サンライズ出版)
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