犀川大橋

『金沢』を読み返していて、本当に良い小説
なのですが、作中度々、犀川に架かる鉄橋に
ついて触れられており、これは是非とも、目に
入れておきたいものだと考えていたのですよ。
金沢市内を流れる犀川は男川、浅野川は
“女川”として比され、また、犀川は室生犀星、
浅野川は泉鏡花と関連付けられることが多々
あります。断然、ぼくは泉鏡花をリスペクトして
いますけれども、犀星も毛嫌いしてはいないし、実際に渡った「犀川大橋」も好みです。
年譜で知られる吉田健一の金沢初探訪は、昭和32年(1957)。国道157号に架かり、
大正13年(1924)施工の橋ですから、吉田の見た鉄橋は現在の橋と基本的に同じか
と思われます。ただし、5回ほど、塗り替え工事が行われており、現在は青灰色系5色
グラデーションとなります。設計は関場茂樹。橋長62.3m、全幅員21.7~23.7m。
形式は一径間鋼・曲弦ワーレントラス橋で、国の登録有形文化財(第17-0040号)。
☆
併し金沢では犀川の向うの家がこっちの家に話し掛けていた。それは家だけだっただろうか。内山はその家がある丘から広い道を通って金沢の賑かな部分に降りて行く所に犀川に掛っている鉄橋を初めは不恰好なものに思っていたが、それを何度か歩いて渡ったり車で過ぎたりしているうちにその橋が金沢に住むものには金沢の一部である為にそれが事実そうであることに気が付いた。これは放送用の塔を立てた川向うの建物と同じでその橋に雪が降っている時と橋が春の日差しを受けている時と違うのはそれがその橋であることに変りはないからだった。その橋を何代の人間が渡ったかに就て心配することはないのはその歴史を調べれば解った。今は冬でもその時刻の日光を浴びて鉄橋の肌が温っている筈だった。それは現にそこにいるのと同じ感じで内山は鉄橋のことから丘の上の家にいる自分に戻った。この推移は自然であって鉄橋と内山がいる部屋を繋いで金沢という町の空間を拡げた。犀川の川原まで降りて行けばその鉄橋が見える筈だった。
参考文献:吉田健一『金沢・酒宴』(講談社文芸文庫)
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