金沢の五一
思い出すがままに徒然の「金沢の近代建築
(5)」となりまして、今回は、金沢で遭遇した
武田五一(1872~1938)となります。
橋場交差点から武蔵辻に向かって歩けば、
尾張町の近代建築を多々目に出来る訳
ですが、その一つが「石黒ビル」……しかし、
地味です。1階部分に入っていたコンビニが
撤退して、シャッターが閉まっているので、
脇を通るとそのまま見過ごしてしまいそう。
西隣の旧家「福久屋石黒傳六商店」に足を止め、
通りの向こうへ渡り、2階から上を眺め遣って、嗚呼!と。
大正15年(1926)の建築で、施工は清水組。
元々は「石黒傳六商店」改め薬種商「石黒
ファーマシー」本社ビルだった模様。3階の
窓廻りやパラペット・モールがささやかな
自己主張を見せますが、和洋何でもござれの
“関西建築界の父”の設計にしては大人しい
印象でした。大阪人としては、「桜宮橋」等で
馴染み深い五一に、金沢で遭遇できたこと
自体が欣快(銀橋の画像は本年4月13日撮影分)。
実は村野藤吾とも出逢っていたのですけれども、帰阪してから気付きましたよ……。

(5)」となりまして、今回は、金沢で遭遇した
武田五一(1872~1938)となります。
橋場交差点から武蔵辻に向かって歩けば、
尾張町の近代建築を多々目に出来る訳
ですが、その一つが「石黒ビル」……しかし、
地味です。1階部分に入っていたコンビニが
撤退して、シャッターが閉まっているので、
脇を通るとそのまま見過ごしてしまいそう。
西隣の旧家「福久屋石黒傳六商店」に足を止め、
通りの向こうへ渡り、2階から上を眺め遣って、嗚呼!と。

元々は「石黒傳六商店」改め薬種商「石黒
ファーマシー」本社ビルだった模様。3階の
窓廻りやパラペット・モールがささやかな
自己主張を見せますが、和洋何でもござれの
“関西建築界の父”の設計にしては大人しい
印象でした。大阪人としては、「桜宮橋」等で
馴染み深い五一に、金沢で遭遇できたこと
自体が欣快(銀橋の画像は本年4月13日撮影分)。
実は村野藤吾とも出逢っていたのですけれども、帰阪してから気付きましたよ……。
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tag : 近代建築