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志ん生の納豆売り

五代目・古今亭志ん生(1890-1973年)は、本名・美濃部孝蔵。東京・神田の生まれで徳川直参旗本の出だったが、放蕩無頼の生活の果てに落語家となる。朝太・円菊・馬太郎・武夫・馬きん・志ん馬・馬生……など、18回以上にわたる改名を繰り返したことから分かるとおり、売れない時代は長かったが、満州慰問から生還した後は、人気・評価ともに高まった。落語協会会長を務め、紫綬褒章、勲四等瑞宝章を受章している。

その志ん生が前座同然の扱いを受けて、困窮極まる貧乏長屋時代に、「少うし朝が早いけどね」との留保付きながら勧める人があり、手を染めたのが“納豆売り”だった。

とにかく働こう、働かんことにはアゴが干あがっちまう。自分ひとりなら、あわてはしないけれども、一家五人ですから、心中おだやかじゃなかったんです。そこで納豆売りをやろうてんで、納豆を仕入れてきたんですよ。ところが、高座の上なら大きな声で言えるけれども、表へ出てはどうしても、その呼び声が出ない、いい調子にどなれないんですよ。仕入れた納豆をちっとも売らないでは丸損だけれども、どうもそれを売って歩く気になれない。

恥ずかしいてえのか、馴れないてえのか、人家の前で大きな声なんぞ出せるもんじゃァありませんよ。そのかわり、人ッ子一人通らないところへ来ると、『なっとォ』なんて、天までとどくような声も出る」という次第で、納豆売りの次には醤油屋の御用聞きを始めるのだが、家に醤油がないため商品に手を付けて、醤油屋も踏みつぶしてしまう。

さて、1合も売れなかった醤油同様に、「納豆だって一本も売れやしない」のだった。「一本」とあるからには、藁づと納豆なのだろうか。売るつもりで仕入れた納豆だから、随分の量がある。

(納豆を)みんな食っちまうのももったいないと思ったから、金馬(三遊亭金馬)の所へ売りに行ったんです。するとその納豆を甘納豆とまちがえやがって、楽屋へもっていってみんなで食べようと思ったわけだ。中から甘納豆と思いのほか本物の納豆が出てきたから大さわぎになってしまった。まったくその頃のことを思いますと、実にさんざんなもんでしたナ。

参考文献:古今亭志ん生『なめくじ艦隊』(ちくま文庫)古今亭志ん生『びんぼう自慢』(ちくま文庫)
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たまに「考える人」、歴史探偵。
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