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雑喉場橋之碑

江戸時代に“大坂三大市場”と呼ばれていましたのが2018_10_05_雑喉場橋之碑
天満の青物市、堂島の米市、雑喉場(ざこば)の魚市。
木津川橋」を少し東へ行った所に「雑喉場橋之碑」が
建っています。大坂の市場ですから、当然、水運の便が
良い立地に在った訳で、雑喉場の場合は百間堀川
接していました。川幅は30mほど。他の(同様に埋め
立てられた)江戸堀川、京町堀川、阿波堀川を集めて
木津川に合流していたようです。百間堀川が埋められる
前、東岸の鷺島に雑喉場は位置しており、江戸時代
後期に対岸の江之子島と鷺島の間に架かっていたのは
上之橋と下之橋。江之子島に大阪府庁舎が建設され
(明治7年)、翌年、下之橋の辺りに架けられたのが
雑喉場橋」で、大阪では5番目の鉄橋に当たります。
大阪初の鉄橋は「高麗橋」でしたね。2度の改築を経て、
昭和39年(1964)、百間堀川の埋め立てとともに、雑喉場橋も退場。
そもそも、昭和6年(1931)の中央卸売市場の開場の際に、
雑喉場市場も終わっていたのでしたけれども……。
「雑喉場橋之碑」の親柱は大正11年(1922)改築時の物。
上部の照明灯は当時のレプリカ。この親柱、複数の存在が
確認されておりまして、2度の改築があったということを
念頭に入れておかないと、いろいろと取り違えてしまいそうです。
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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡

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別の見方

中之島が堂島川と土佐堀川に挟まれているように、
江之子島は木津川と(元)百間堀川に挟まれていた訳だ。
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たまに「考える人」、歴史探偵。
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