扇町公園

扇町小学校、「北野病院」が並び、北東
角に「関西テレビ」や大阪市北区役所が
位置を占めています。現在の姿になる前、
大阪プールの移転(1996)、あるいは関
テレの移転(1997)以前のことで言えば、
ぼくの学生時代、公園の西向かいに
“学生相談所”が在りまして、日払いの
アルバイトを求め、前日になって紹介を
受けに足を運んだものです。「扇町ミュージアムスクエア」も至近で、小劇団の
演劇を観にしばしば足を向けました。OMSは2002年、学相は2004年に閉鎖。
扇町プールは現役ですが、大阪市港区の「八幡屋公園」に移った大阪プールの
飛び込み台なども、モニュメントとして扇町公園内のあちこちに点在しています。
(上の画像は、今年1月20日撮影分)
さらにもっと、歴史を遡ればどうなるか?と言いますと、既に触れましたかしら。
☆
一八七九(明治一二)年に内務省監獄局が設置されると、こうした既存の施設はようやく一元化され、既決と未決の監獄署として機能分担していく。
もっとも大きな転換は、一八八二(明治一五)年一二月に大阪市中の北のはずれに隣接している北野・川崎両村内に、約六万坪余(およそ一九万八〇〇〇平方m)という広大な「堀川監獄」(のち、大阪府監獄署)が新設されることになった時である(上方落語『へっつい盗人』にも登場し、かの反骨ジャーナリスト宮武外骨も一時収監されていた)。この監獄所は一九二〇(大正九)年に堺市へ移転するまで(現・大阪刑務所)、本庄・長柄の木賃宿街と舟場部落に近接して刑務所が置かれていたわけである。
参考文献:吉村智博『続かくれスポット大阪』(解放出版社)
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