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沖向地蔵尊

大坂七墓”を記した際、「葭原(よしわら)」って2019_01_22_沖向地蔵尊どこよ?
と混乱したのですが、ぼくの家のごっつい近所でしたわ。
近場過ぎて、意識からスルーされていたようです
(画像は本年1月22日撮影分)。天六東通り商店会が
沖向地蔵尊」に寄贈した説明板では、行基の造った
大坂七墓の1つが、(天満)葭原のこの地の墓地だった
ようです。その後、法然(1133~1212)が墓地のために
建立した「西の坊」に地蔵尊・阿弥陀如来・勢至菩薩が
併祀されました。そもそも、当時の大坂は上町台地以外、
海や湿地帯で、「葭原」という地名も葭(=葦)が生い茂る
様から付けられた模様。「沖向地蔵尊」という呼び名も、
当時はお地蔵さんの正面、西の方に海を見渡すことが
出来た、沖を向いていたことが理由です。大阪の歴史を
考える時は、最初に海岸線を思い描かないと駄目ですねえ。
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テーマ : 仏教・佛教
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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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