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日蓮の「大豆御書」

日蓮(1222〜1282年)は日蓮宗(法華宗)の宗祖。現代も(形を変えて)強い影響力を及ぼしているように見えるのは、日蓮本人が生きた当時から、政治・社会と積極的に渡り合った姿勢が脈々と受け継がれているためだろうか。初期キリスト教の弾圧に対するリバウンドにも似るが、法難を受けるほどに激しく立ち上がる生き様を窺うと、激越な思想と人間とは切り離せないものだと感嘆するしかない。日蓮上人の思想・教義をたどろうとすれば、遺文を読み継ぐことになるだろう。蒙古襲来を予言したともいわれる「立正安国論」などを含む遺文は400を超えるとされ、中には「大豆御書」が残されている。短いので、本文全文を以下に引用する。

大豆一石かしこまつて拝領し畢んぬ。法華経の御宝前に申し上候、一渧の水を大海になげぬれば三災にも失せず。一華を五浄によせぬれば劫火にもしぼまず、一豆を法華経になげぬれば法界みな蓮なり、恐惶謹言。
大豆雑学(201109)

文永7(1270)年、日蓮が49歳の時に記されている。本文の後に10月23日の日付と日蓮の花押が続く。花押の後に「御所御返事」と書かれているので、鎌倉幕府・執権につながるであろう高位の人から、大豆を供養されたことが推測される。本文へ戻ろう。尺貫法の単位である石は、コメで考えた場合、1石=10斗=100升=1,000合。コメ1合は約180グラムだから、大豆1石はコメ換算で約180キログラム。(1俵60キログラムとして)3俵分の大豆を日蓮がありがたく拝領し、法華経の前に供えた次第。この供養を讃仰する文言が後に連なる。

一滴の水を大海に投じれば、その水は三災(水災・火災・兵災)に遭っても消え失せることはない。一本の花を五浄居天に寄せておけば、劫火にしおれることもない。「五浄(居天)」とは色究竟天、善見天、善現天、無熱天、無煩天をいう……仏像の分類で見られる「天部」の「天」と同義か。一滴の水、一本の花も大いなるものに委ねることで、天変地異を免れるように、一粒の大豆だって法華経に捧げれば、人の前に表れるありとあらゆる世界のすべてで、蓮の花となって咲き乱れるだろう。七面倒な教義はよく知らないが、心掛けひとつで世界は変わると教え諭し、励ましてくれているようだ。

参考文献:『日蓮上人御遺文』(祖書普及期成会)
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