吉朝以後
小佐田定雄 『落語大阪弁講座』において、
「事」=新年を迎えるための準備の用事
について説明された後、以下の一節が――。
☆
毎年、この日(12月13日)になると夕方のニュースで、祇園の芸妓、舞妓衆が京舞の家元である井上八千代師のお宅へ「事始め」の挨拶に行くシーンが紹介されることになっている。ところが、テレビ局のディレクターさんは、祇園以外にも「事始め」をしている所があるのをご存じないのである。どこか? 兵庫県尼崎市にある桂米朝師のお宅である。同じ日の午前中、黒紋付の羽織袴姿の米朝一門の面々が、師匠にご挨拶する場面と、その後、お酒を飲んで大騒ぎするシーンが撮影できるのに、なぜかニュースで紹介されないまま今日に至っている。もし、ざこば、南光、雀三郎、吉朝をはじめとする一門のみなさんが芸妓姿で挨拶に行ったとしたら、ニュースに採り上げてもらえるかもしれない。
☆
米朝師匠の享年が2015(平成27)年。
それはともかく、桂吉朝は2005年に亡くなりました。
『落語大阪弁講座』の初版発行は2002年11月。
殿下の訃報に際して、ザ・ウィークエンドが
我々は彼のいない世界で生きていくことになる
――と呟いていたように記憶するのですが、
この本の出版時にはまだ、吉朝がいたのですねえ。
ぼくもまた、吉朝以後の落語を聴き続けています。
「事」=新年を迎えるための準備の用事
について説明された後、以下の一節が――。
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毎年、この日(12月13日)になると夕方のニュースで、祇園の芸妓、舞妓衆が京舞の家元である井上八千代師のお宅へ「事始め」の挨拶に行くシーンが紹介されることになっている。ところが、テレビ局のディレクターさんは、祇園以外にも「事始め」をしている所があるのをご存じないのである。どこか? 兵庫県尼崎市にある桂米朝師のお宅である。同じ日の午前中、黒紋付の羽織袴姿の米朝一門の面々が、師匠にご挨拶する場面と、その後、お酒を飲んで大騒ぎするシーンが撮影できるのに、なぜかニュースで紹介されないまま今日に至っている。もし、ざこば、南光、雀三郎、吉朝をはじめとする一門のみなさんが芸妓姿で挨拶に行ったとしたら、ニュースに採り上げてもらえるかもしれない。
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米朝師匠の享年が2015(平成27)年。
それはともかく、桂吉朝は2005年に亡くなりました。
『落語大阪弁講座』の初版発行は2002年11月。
殿下の訃報に際して、ザ・ウィークエンドが
我々は彼のいない世界で生きていくことになる
――と呟いていたように記憶するのですが、
この本の出版時にはまだ、吉朝がいたのですねえ。
ぼくもまた、吉朝以後の落語を聴き続けています。
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