フェルメール雑観
「フェルメールブルー」とも称される、フェルメール作品に
鮮烈な印象を与えている青色=“ウルトラマリン”は、
ラピスラズリを原料としており、当時のヨーロッパでは
金と同じくらい、高値だったといわれています。ラピスラズリが
アフガニスタンなどで採られていたことから、“ウルトラマリン”は
「海を越えて運ばれる青」。日本でやはり高価だった顔料、ベロ藍
(=プルシアンブルー)をいち早く導入した伊藤若冲のことが
頭を掠め……色にはそれぞれの値段が付けられている、と。
フェルメールは青の補色、黄色も多用しています。その空色と
レモンイエローの組み合わせにゴッホも着目していたようです。
☆
今回の大阪の「フェルメール展」では、6点のフェルメール作品が
鑑賞できました。ところで、2018年10月7日発行の時空旅人別冊
「静謐と光の画家 フェルメール」(三栄書房)を眺めていると、
出品作品が9点となっていて、「取り持ち女」が抜け落ちていました。
2018年10月1日発行の「プレミアム美術館 フェルメール」
(朝日新聞出版)には明記されていましたが、所蔵するドレスデン
アルテ・マイスター絵画館から借り出す予定だった「窓辺で手紙を
読む女」の修復が間に合わず、ぎりぎりで代理出品された模様。
“手紙”というテーマからは若干弱くなりましたが、フェルメールの
風俗画への結節点となる「取り持ち女」は、俗臭(静謐ではなく、
ざわめき)をまだ鎮め切れておらず、ぼくとしては感じ入る作品で、
結果的に良かったかもしれません。娼婦の上着も黄色です。
☆
森村泰昌先生のフェルメール本を読んでいて、大胆不敵な
仮説2点に、唸っています。セルフポートレートを通して、
作品内部から作家の内面に潜り込む力技には脱帽です。
カメラ・オブスキュラを使用して、フェルメール独特の画面を
構成したのもおそらく間違いないでしょう。そこまでは腑に落ちます。
その後が……「フェルメールは、もしかしたらホモセクシャル
だったかもしれない、ということです。(中略)この(偽装)
結婚によってフェルメールは自分の性の世界を隠し、
そのかわり奥さんには自由恋愛を認めた」。
フェルメールが、寡黙に、何かしらを秘め隠して一生を終えた
ということは、ぼくにも感じ取られます。ただ、そこから間髪入れず、
同性愛者だったという論理の飛躍は、間違っている云々以前に
何の裏付けも用意されてないですからねえ。もう1つの極論が、
「真珠の耳飾りの少女」に対して、「もしかして、これは
フェルメール風に描かれた同時代の別の画家の絵かも」との
妄想です。怖い人です。証拠は何もありません。学者としてでなく、
生身の美術家としての勘が言わせた言葉なのでしょう。
参考文献:森村泰昌『知識ゼロからのフェルメール鑑賞術』(幻冬舎)
鮮烈な印象を与えている青色=“ウルトラマリン”は、
ラピスラズリを原料としており、当時のヨーロッパでは
金と同じくらい、高値だったといわれています。ラピスラズリが
アフガニスタンなどで採られていたことから、“ウルトラマリン”は
「海を越えて運ばれる青」。日本でやはり高価だった顔料、ベロ藍
(=プルシアンブルー)をいち早く導入した伊藤若冲のことが
頭を掠め……色にはそれぞれの値段が付けられている、と。
フェルメールは青の補色、黄色も多用しています。その空色と
レモンイエローの組み合わせにゴッホも着目していたようです。
☆
今回の大阪の「フェルメール展」では、6点のフェルメール作品が
鑑賞できました。ところで、2018年10月7日発行の時空旅人別冊
「静謐と光の画家 フェルメール」(三栄書房)を眺めていると、
出品作品が9点となっていて、「取り持ち女」が抜け落ちていました。
2018年10月1日発行の「プレミアム美術館 フェルメール」
(朝日新聞出版)には明記されていましたが、所蔵するドレスデン
アルテ・マイスター絵画館から借り出す予定だった「窓辺で手紙を
読む女」の修復が間に合わず、ぎりぎりで代理出品された模様。
“手紙”というテーマからは若干弱くなりましたが、フェルメールの
風俗画への結節点となる「取り持ち女」は、俗臭(静謐ではなく、
ざわめき)をまだ鎮め切れておらず、ぼくとしては感じ入る作品で、
結果的に良かったかもしれません。娼婦の上着も黄色です。
☆
森村泰昌先生のフェルメール本を読んでいて、大胆不敵な
仮説2点に、唸っています。セルフポートレートを通して、
作品内部から作家の内面に潜り込む力技には脱帽です。
カメラ・オブスキュラを使用して、フェルメール独特の画面を
構成したのもおそらく間違いないでしょう。そこまでは腑に落ちます。
その後が……「フェルメールは、もしかしたらホモセクシャル
だったかもしれない、ということです。(中略)この(偽装)
結婚によってフェルメールは自分の性の世界を隠し、
そのかわり奥さんには自由恋愛を認めた」。
フェルメールが、寡黙に、何かしらを秘め隠して一生を終えた
ということは、ぼくにも感じ取られます。ただ、そこから間髪入れず、
同性愛者だったという論理の飛躍は、間違っている云々以前に
何の裏付けも用意されてないですからねえ。もう1つの極論が、
「真珠の耳飾りの少女」に対して、「もしかして、これは
フェルメール風に描かれた同時代の別の画家の絵かも」との
妄想です。怖い人です。証拠は何もありません。学者としてでなく、
生身の美術家としての勘が言わせた言葉なのでしょう。
参考文献:森村泰昌『知識ゼロからのフェルメール鑑賞術』(幻冬舎)
- 関連記事
-
- 岩屋肉劇場 (2019/04/06)
- アリス展 (2019/04/05)
- フェルメール雑観 (2019/04/04)
- らむ屋 (2019/04/03)
- 超絶技巧 (2019/04/02)
スポンサーサイト
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
tag : 美術