塩打大豆は不及力
安楽庵策伝(1554〜1642年)『醒睡笑』の中から、「座禅大豆」なるものを以前(2011年11月「座禅大豆」参照)紹介した。今回は「塩打大豆」を取り上げよう。「塩打(えんだ)大豆」とは塩打ち豆、塩豆のこと。「塩豆」を『広辞苑』で引くと、「乾燥したエンドウなどを塩水につけたのち、炒ったもの」とある。『醒睡笑』では「大豆」の文字が使われているので、大豆を塩味で炒った物か。同書「巻之三」のテーマは、文字知り顔。漢字の知識がないのに、知ったかぶりをする失敗談が集められている。
「振舞なかばに、亭主、『塩打大豆(えんだだいづ)、塩打大豆』と呼びければ、塩打豆(しおうちまめ)を持ちて出でけり。また一度呼ぶ時、『いや、無し』と申したれば、『不及力(ふぎゅうりき)、不及力』とうなづきたり。客大いに感じ、家に帰りて人を請じ、次第を忘れ、始めに『不及力を出せ』といふ。塩打豆を出せり。かさねて乞ふに、『もはや無い』とこたふる。『塩打大豆、塩打大豆』と。あとをさきへ、入らぬ文字あつかひや」

落語のネタ本といわれる『醒睡笑』だけあって、噺家の語りが聞こえてきそうな小咄。接待を受け、ホストのちょっと気取った言葉遣いに感心した、おっちょこちょいの主人公。「塩打豆(えんだだいず)」、「不及力(ふぎゅうりき)」の言葉の響きにいたく感心した模様。だが、音で覚えて意味がわかっていないため、真似しようとしても、全く逆に言い違えてしまう失敗談。にしても「不及力を出せ」とぼけられて、ちゃんと塩打豆を用意する家人が偉いですね。
同じ「巻之三」から、不文字(=文字・漢字の知識が無いこと)にまつわるエピソードを。山奥の田舎者が、夜分の寄り合いで出された餅に対して「夜食を取り過ぎると身体に毒だ」と諭されるのを聞き、「夜食」を餅のことだと勘違い。在所に帰ってきなこ餅を振る舞われると、「夜食を多く取ると身体に毒なんだぜ」と格好つけて言っちゃうのね。真っ昼間だというのに。
「小豆餅のあたたかなるを、夜咄のもてなしに出す。その席に、奥山の者ありし。中老ほどの人、餅を見る見る、『とかく夜食はおほく食ふが毒にてある』よしいふを聞き、『さては餅のことぞ』とおもひ、かの山賎 在所にて、昼の雑掌に大豆の粉をそへ餅をいだす時、『かまへてみなお聞きあれ。さる人のいはれしが、この夜食はおほく食ふが毒にて候』と」
参考文献:安楽庵策伝『醒睡笑(上)』(岩波文庫)
「振舞なかばに、亭主、『塩打大豆(えんだだいづ)、塩打大豆』と呼びければ、塩打豆(しおうちまめ)を持ちて出でけり。また一度呼ぶ時、『いや、無し』と申したれば、『不及力(ふぎゅうりき)、不及力』とうなづきたり。客大いに感じ、家に帰りて人を請じ、次第を忘れ、始めに『不及力を出せ』といふ。塩打豆を出せり。かさねて乞ふに、『もはや無い』とこたふる。『塩打大豆、塩打大豆』と。あとをさきへ、入らぬ文字あつかひや」

落語のネタ本といわれる『醒睡笑』だけあって、噺家の語りが聞こえてきそうな小咄。接待を受け、ホストのちょっと気取った言葉遣いに感心した、おっちょこちょいの主人公。「塩打豆(えんだだいず)」、「不及力(ふぎゅうりき)」の言葉の響きにいたく感心した模様。だが、音で覚えて意味がわかっていないため、真似しようとしても、全く逆に言い違えてしまう失敗談。にしても「不及力を出せ」とぼけられて、ちゃんと塩打豆を用意する家人が偉いですね。
同じ「巻之三」から、不文字(=文字・漢字の知識が無いこと)にまつわるエピソードを。山奥の田舎者が、夜分の寄り合いで出された餅に対して「夜食を取り過ぎると身体に毒だ」と諭されるのを聞き、「夜食」を餅のことだと勘違い。在所に帰ってきなこ餅を振る舞われると、「夜食を多く取ると身体に毒なんだぜ」と格好つけて言っちゃうのね。真っ昼間だというのに。
「小豆餅のあたたかなるを、夜咄のもてなしに出す。その席に、奥山の者ありし。中老ほどの人、餅を見る見る、『とかく夜食はおほく食ふが毒にてある』よしいふを聞き、『さては餅のことぞ』とおもひ、かの山賎 在所にて、昼の雑掌に大豆の粉をそへ餅をいだす時、『かまへてみなお聞きあれ。さる人のいはれしが、この夜食はおほく食ふが毒にて候』と」
参考文献:安楽庵策伝『醒睡笑(上)』(岩波文庫)
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