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二人地蔵尊

5月17日(金)正午過ぎに部屋を出て、「大阪城2019_05_17_二人地蔵
天守閣」にて開催されていたテーマ展「戦国の
世の祈り
」を観に行くつもりではいたのです。
ところが、森ノ宮駅辺りまで来たところで、海外
観光客の人込みに辟易してしまって、結局は
見送り。3時間ばかり、京橋界隈や太融寺町・
堂山町の辺りを歩き倒すと、帰途に就きました。
移動中に目を留めた「二人地蔵尊」(大阪市
都島区片町2丁目11-18)は、5年前だか、
10年以上前だかにも撮影した記憶はありますけど、
あの頃から、ちっとも成長していないぼくがいます……。
二人地蔵尊は、近世・大坂と京都を結んでいた「京街道」と、
京阪本線沿いの道路が交わる辺りに祀られており、地蔵堂の建立は
昭和44年(1969)4月。柑橘類の樹が大ぶりの黄色い実をつけていました。
地蔵堂の扁額に記載のあった「二人地蔵尊の由来」は、下記のとおり。
なるほど、確かに“身代わり地蔵”には、首を継いだ痕跡が見受けられました。
       ☆
右側小柄の方は交通災害の身代り地蔵さんで 左側の方は長寿と厄除けの護り地蔵さんであります。
身代り地蔵さんは昭和二十年八月大東亜戦争の終末を告げる頃 当地京橋付近の大空襲の際に どこからともなく現われた不思議な方で たまたま本年
(昭和44年)春頃 この路上に於て自動車の激突事故が発生し 双方の車は接触したまま鯰江川に向って二転三転したにもかかわらず 運転手にはかすり傷一つなく エンジンがかかっているのに火災も起らず 気のついた時はこの地蔵さんの首だけが飛散していたのであります。
目に見えないこのお加護と人徳に対して 住民は勿論 特に運転をされる者からは生き仏様として尊敬されるに至ったのであります。
護り地蔵さんは幾度ともなく傷つかれたこの身代り地蔵さんをたすけて 鯰江川の埋めたて 新京橋駅と商店街建設工事などに絶対無事故であることを祈願し 併せて野田町から片町へと町名の変更 世紀の万国博覧会の開催 明治百年祭にあたるなど もろもろを記念して奉祀されたのであります。
爾来住民は この両地蔵さんは願いごとを必ず果たして下さるものと信仰し 地蔵菩薩十福の恩恵に浴すためにも七月二十四日の祭典日
(=地蔵盆)にこだわらず 老若男女 事あるごとに感謝祭をおこなうことになったのであります。合掌
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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