仲平豆

今回取り上げる『安井夫人』は、若山甲蔵「安井息軒先生」に依拠した歴史小説。安井息軒仲平(1799〜1876年)は江戸時代の儒学者。現・宮崎市出身だが、父にならって江戸へ出て研鑚を積み、江戸期儒学の集大成と評価され、近代漢学の礎を築いたといわれる。その地道に刻苦精励する生涯に、鴎外が自身との共通点を見出し、あるいは彼を取り巻く家族模様に自らの理想を投じたとも読める。仲平は26歳で江戸へ出る前に、21歳の春から大阪・土佐堀で修業している。
大阪土佐堀三丁目の蔵屋敷に著いて、長屋の一間を借りて自炊をしてゐた。倹約のために大豆を塩と醤油とで煮て置いて、それを飯の菜にしたのを、蔵屋敷では「仲平豆」と名づけた。
そのように質実剛健を地で行った(かつ人としての情愛の細やかさも忘れぬ)仲平は、将来有望の若者と周囲からの期待も高かったのだが、ひとつだけ残念なことに、男ぶりが宜しくなかったらしい。あばたがあって片目で、背が低く、「仲平さんは不男だ」と陰言を言われる始末。が、仲平の父・滄州翁は知恵や才気にこそ人間の美点があると考え、そんな仲平の「人物を識った女」こそ嫁に欲しいと思っていた。そこへ自分から申し出て嫁いだのが、若くも内気で「岡の小町」と呼ばれた佐代、タイトルにも取られている「安井夫人」である。
鴎外は作中、「お佐代さんはどう云ふ女であつたか」「何を望んだか」などの問いを繰り返しつつも、世俗的な対価を得たかどうかで彼女の生涯を評価することなく、「遠い、遠い所」へまなざしを向けた佐代の姿を淡々と描出している。
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