混沌境内

勤務地の近くに在ることもあって、ちょくちょく
足を踏み入れているのですが、さほど広くも
ない境内のそこかしこに、様々な仕掛け(?)が
あって、飽きさせません。お初・徳兵衛の
ブロンズ像の他、シナントロープの干支など…
…以前から在ったのに、朝方、目に留まったの
が「南風俳句会」の句碑。石碑の左隣に同じ
3句と作者名を記したブロック大の説明板も
置かれていますが、無粋の極みというか、要らないでしょ。その左隣に在るのが
末社となる「難波(夕日)神明社」。元々は弘仁12年(821)、あの河原左大臣・
源融が祀ったことが始まり。明治42年(1909)の“北の大火”の翌年、合祀された
そうです。築地壁に次々と拡大していく煽情的なイラストと相まって、カオスな境内。
商売上手なのか、氏子に恵まれているのか、よくわからない勢いに当てられます。
- 関連記事
-
- 魔除橋 (2019/06/12)
- 壺阪観音 (2019/06/11)
- 混沌境内 (2019/06/10)
- 奈良市のマンホール (2019/06/09)
- 秋篠寺の歌碑 (2019/06/08)
スポンサーサイト
tag : 史跡