大石権内良昭
いつも目に入っていたはずなのに、ちゃんと
見えていなかった物といえば、ごまんとある
訳ですが、通勤時に看過していた物件として、
大阪市北区兎我野町は「円通院」墓地内に
在る大石権内(げんない)良昭(1640~73)の
墓を取り上げてみました。大石良昭は大石
内蔵助良雄(よしたか)の実父に当たります。
もっとも、良昭が34歳で大坂にて病没したため、
良雄は祖父・大石内蔵助良欽(よしたか)の養子
となって家督を継ぐ形を取りました。「国立文楽劇場」
開場35周年記念で、『仮名手本忠臣蔵』の通し公演が
行われていなければ、何事も無く、通り過ぎ続けていたでしょう。
画像は6月5日(水)撮影分。墓地の表に延命地蔵尊と並んで、
「大石内蔵助良雄實父権内良昭/大石瀬左衛門信清實父八郎兵衛
墓」と記された石柱が建っており、その日はたまたま通用口が開いていたので、
中に入って、墓石を撮らせていただきました。(おそらく)八郎兵衛信澄の墓石は
ぼろぼろに崩れる過程ですねえ。大石信清もまた、赤穂浪士四十七士の一人。

見えていなかった物といえば、ごまんとある
訳ですが、通勤時に看過していた物件として、
大阪市北区兎我野町は「円通院」墓地内に
在る大石権内(げんない)良昭(1640~73)の
墓を取り上げてみました。大石良昭は大石
内蔵助良雄(よしたか)の実父に当たります。
もっとも、良昭が34歳で大坂にて病没したため、
良雄は祖父・大石内蔵助良欽(よしたか)の養子
となって家督を継ぐ形を取りました。「国立文楽劇場」
開場35周年記念で、『仮名手本忠臣蔵』の通し公演が
行われていなければ、何事も無く、通り過ぎ続けていたでしょう。
画像は6月5日(水)撮影分。墓地の表に延命地蔵尊と並んで、
「大石内蔵助良雄實父権内良昭/大石瀬左衛門信清實父八郎兵衛
墓」と記された石柱が建っており、その日はたまたま通用口が開いていたので、
中に入って、墓石を撮らせていただきました。(おそらく)八郎兵衛信澄の墓石は
ぼろぼろに崩れる過程ですねえ。大石信清もまた、赤穂浪士四十七士の一人。
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