野中寺の弥勒
6月18日(火)、河内の古仏を訪ねる日帰りの
旅に出掛けました。お寺によっては、(大阪
府内とはいえ)交通の便が若干宜しくないの
と、いずれも拝観日が制限されているので、
思い立ってから、随分と延び延びとなって
いたりするのです。大阪市内からだと、まず
天王寺まで。近鉄・南大阪線に乗り換えて、
藤井寺で下車。南口から近鉄バスに乗って
野々上で降車。大阪市から外れると、ぼくの
土地勘もだいぶ怪しげになるのですけれど、
聖徳太子ゆかりの“河内三太子”の一つ、
「中の太子」と呼ばれる「野中寺」の所在地は、羽曳野市野々上5-9-24
となります。蘇我馬子の助力を得て、聖徳太子が建立したといわれており、
創建当初の伽藍は灰燼に帰してしまいましたが、残された礎石等から
法隆寺式の伽藍配置だったようです。南大門が竹内街道に面していた模様。
☆
「野中寺(やちゅうじ)」の「金銅弥勒菩薩半跏像」
と「地蔵菩薩像」は、毎月18日のみの開帳です。
本堂の裏手に回り込んで、中門を潜って、客殿の
横を通って、事務所の受付となるので、うっかり
すると、特別拝観に気付かずに終わってしまう
可能性すらありますねえ。良く言えば、奥ゆかしく、
方丈で像高18.5cm の愛らしい弥勒菩薩に
うっとりと見惚れてしまいました……画像はポスト
・カードを撮り直した物ですが、絵画等と同じく、
仏像もリアルを直接に見なければ始まりません。
光の当たる角度もあれば、目線の位置、質感・
空気感も在りますし。天智5年(666)作といわれ、
台座の框(かまち)後部の銘文に、「弥勒御像」と明記されている点が貴重。

旅に出掛けました。お寺によっては、(大阪
府内とはいえ)交通の便が若干宜しくないの
と、いずれも拝観日が制限されているので、
思い立ってから、随分と延び延びとなって
いたりするのです。大阪市内からだと、まず
天王寺まで。近鉄・南大阪線に乗り換えて、
藤井寺で下車。南口から近鉄バスに乗って
野々上で降車。大阪市から外れると、ぼくの
土地勘もだいぶ怪しげになるのですけれど、
聖徳太子ゆかりの“河内三太子”の一つ、
「中の太子」と呼ばれる「野中寺」の所在地は、羽曳野市野々上5-9-24
となります。蘇我馬子の助力を得て、聖徳太子が建立したといわれており、
創建当初の伽藍は灰燼に帰してしまいましたが、残された礎石等から
法隆寺式の伽藍配置だったようです。南大門が竹内街道に面していた模様。
☆

と「地蔵菩薩像」は、毎月18日のみの開帳です。
本堂の裏手に回り込んで、中門を潜って、客殿の
横を通って、事務所の受付となるので、うっかり
すると、特別拝観に気付かずに終わってしまう
可能性すらありますねえ。良く言えば、奥ゆかしく、
方丈で像高18.5cm の愛らしい弥勒菩薩に
うっとりと見惚れてしまいました……画像はポスト
・カードを撮り直した物ですが、絵画等と同じく、
仏像もリアルを直接に見なければ始まりません。
光の当たる角度もあれば、目線の位置、質感・
空気感も在りますし。天智5年(666)作といわれ、
台座の框(かまち)後部の銘文に、「弥勒御像」と明記されている点が貴重。
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tag : 仏像