お染・久松の墓

予想外に歴史も古く、引き出しの多さに驚かされる
羽曳野市の「野中寺」でしたけれど、境内西側に
位置する同寺の霊園にも、見ものが在りました。
「お染・久松の墓所」です……お染・久松、お染・
久松……誰だったっけ? と記憶を蘇らせるうち、
『新版歌祭文』等で知られる二人だったと膝を
打ちます。どうして、こんな所に? 頭を捻ります
が、墓石の裏に「享保七年十月七日建之」、
「大坂東堀天王寺屋権右ヱ門」とあって、
天王寺屋は油屋の豪商。二人は油屋の一人娘と
丁稚ではありました。心中した二人の十七回忌に、
墓石を刻み、遺品を納めたそうです。墓所の説明板のすぐにそれらしき墓石が
目立って建っているので騙されますが、本物はもっと北の奥の方に在ります。
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