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尼崎城

モーリス・デイのライヴを愉しんだ翌日(6月2019_06_26_庄下橋と尼崎城
26日)、何故だか、兵庫県尼崎市に在る
尼崎城」にやって来ていました。阪神電車を
利用して、尼崎駅で窓の外を見ると、いつの日
からか、天守閣が目に留まるようになっており、
気に懸けていたのですねえ。何故に、平成も
終わる頃に、尼崎なんぞに城郭が……?
       ☆
オリジナルの尼崎城は、元和3年(1617)、
戸田氏鉄(うじかね)が築きました。別名「琴浦城」。
戸田氏の後、青山氏が4代、(桜井)松平氏が7代、
城主を務めています。最後の藩主は松平忠興
尼崎城もまた、明治6年(1873)の廃城令によって
取り壊されました。跡地は「尼崎城址公園」となって
いましたが、今年(平成31年)3月29日、突如、園内に
再建された尼崎城が一般公開され、ぼくも探索の手を延ばした次第。
2019_06_26_尼崎城        ☆
 複合式の四重天守を見せていますが、内部は5階。
 城下町を再現したVRシアターなども入っているにせよ、
 シンプルに5階の展望ゾーンが、落ち着けました。
 特に見るべき何かが見えるということもないけれど、
 尼崎市全体を見渡すという行為に、地図を読む楽しみ
 と同質のものを感じます。現在の尼崎市内には、
 超高層ビルが見当たらないようですし。さて、この
 復元天守の寄贈者(?)は、旧「ミドリ電化
 (現「エディオン」傘下)の創業者、安保詮(あきら)
 いろいろとあるでしょうが、「ミドリ電化」創業の地である
 尼崎市への恩返しという文脈で語られていまして、
問題は、城に対する愛、歴史に対するリスペクトはどこまで本物だろう?というところ。
復元された尼崎城は元の位置から離れているだけでなく、建っている向きも異なる…
…尼崎のイメージ挽回を目して、史実に則るよりも、短兵急に“客寄せ天守”を拵えた
と、難じるべきかしら? 尼崎市民がそれでよいと言うのならば、それもまた良し。
本来の尼崎城に関する知見は押さえた上で、かつ、フィクションも必要なのです。
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テーマ : 城郭
ジャンル : 学問・文化・芸術

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古典落語か、創作落語か?
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たまに「考える人」、歴史探偵。
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