日使頭祭のこと

京都府乙訓郡大山崎町に「離宮八幡宮」なる神社が在る。石清水八幡宮の元社に当たり、八幡大神を祭神とする。

859年、奈良・大安寺の僧、行教が宇佐宮から都への帰途、山崎津で夜の山に霊光を見た。そこを掘ると岩間に清水が湧き、「石清水八幡宮」を創建。男山に神霊が分祀されたのはその後のこと。桓武天皇、嵯峨天皇の行幸での行宮があったことから、「山崎離宮」「河陽宮」と呼ばれた。この離宮八幡宮の春の例祭(毎年4月上旬)として執り行われるのが「日使頭祭(ひのとさい)」。全国の油業界関係者が参集することでよく知られている。大手の主力商品といえば、菜種油や大豆油などのサラダ油だから、大豆とも縁がある。

清和天皇(850〜880)の頃、あるいは貞観年間(859-877)、同宮の神主が長木(方油器、油木)により搾油したのが、日本での製油の発祥という。搾油器により精製された荏胡麻油は当初、神社仏閣の燈明用油として奉納され、日本各地に製油業が普及するにつれ、離宮八幡宮は朝廷より「油祖」の名を賜ることになる。荏胡麻油の製造と販売の中心地「油座」として油の専売特許を一手に持った離宮八幡宮は栄えた。「大山崎神人」と称し、石清水八幡宮へ供える油を扱うため、各国の関所を自由に通過する権利、原料の荏胡麻を独占的に買い付ける権利、油を一手に販売する権利などを有し、諸国の油商人は離宮八幡宮の許状なくして、油を扱うことは許されなかった。

当初の日使頭祭は「南祭」「藤祭」とも呼ばれ、「北祭(=葵祭)」にも匹敵する大きな祭礼だったという。だが中世こそ、荏胡麻油製造で栄えた山崎の地だけに、菜種搾油が始まるとともにその権勢も衰え、江戸時代に菜種油や綿実油が実用化されると搾油も停止した。油販売による莫大な事業収入に頼りきりだった神社の財政的基盤は弱く、その事業収入が途絶えると、離宮八幡宮は改修すらままならない有り様に陥ったという。

戦後、東京油問屋市場の金田勝次氏を中心に「油祖離宮八幡宮崇敬会」発足への活動が行われ、全国の製油メーカー、油脂販売業をはじめとした油脂関係者が参加を表明。昭和62年(1987)、「油祖離宮八幡宮崇敬会」が発足し、やがて、神事「日使頭祭」も復活することとなった。 毎年4月(本来は4月3日。あるいは4月上旬の土曜日)には、全国から100社以上もの油業界関係者が参拝し、献灯の儀、湯立の神事など、古式に則った儀式が行われている。
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