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藤井厚二(誤訳)

大阪くらしの今昔館」で入手した『「聴竹居」と藤井厚二展』
ぱらぱらと捲っていますと、本文に英訳文も付されているのですが、
誤訳を見つけてしまいました。元々の原文が紛らわしいせいも
ありますね。藤井厚二(1888~1938)という建築家・建築学者は、
戦後日本のモダニズムの独自性の根となった、昭和10年代の
日本独自の木造モダニズムの大元に位置しており、彼の第5回
実験住宅「聴竹居」(京都府乙訓郡大山崎町大山崎谷田31)は
昭和3年(1928)に完成しています。1920年当時、「竹中工務店」に
勤めていた藤井厚二でしたが、あの武田五一から自身の後任として
京都帝国大学に呼ばれることとなります。そこで展開された、
環境工学を基礎とした設計方法論の実践が「聴竹居」だった、と。
ところで、問題の個所は下記のとおり――。
(東京帝国大学工科大学建築学科に入学後)
       ☆
大学では「法隆寺建築論」を発表した日本初の建築史家であり、「平安神宮」や「築地本願寺」を設計した建築家・伊東忠太に教わっている。西洋化一辺倒から脱し日本独自の洋式建築を生涯追い求めた伊東の思想に大きく影響を受けている。
In college, he became the first historian to publish a paper about the "Architectural Theory on Horyuji Temple" and studied under Chuta Ito, the architect who had designed Heian Jingu and Tsukiji Honganji. He was heavily influenced by Ito, who had fled the westernization-only trend and pursued, throughout his life, one-of-a-kind architectural styles that are unique to Japan.
       ☆
法隆寺建築論」を発表した日本初の建築史家とは、正に伊東忠太
その人であるのに、英文だと藤井が本邦初の建築史家だったかのよう。
構文的には、下記のような意味で合っているかと思われます……。
(コンマの要不要、"also"は蛇足でないか?など、悩ましくはありますけれども)
In college, he studied under Chuta Ito, the first historian who had published a paper about the "Architectural Theory on Horyuji Temple", and also the architect who had designed Heian Jingu and Tsukiji Honganji.

参考文献:『「聴竹居」と藤井厚二展』(大阪市立住まいのミュージアム)
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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 近代建築英語

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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