徂徠豆腐

2007年、第90代内閣総理大臣、安倍晋三の突然の辞意表明に対して、第87〜89代内閣総理大臣の小泉純一郎が「人生には上り坂もあれば下り坂もあります。もうひとつ坂があるんです。『まさか』という坂であります」と、キャッチーなコメントを残した。この発言の直接的な元ネタは、NHK大河ドラマ「毛利元就」(1997年)からの「人生には3つの坂がある。上り坂と下り坂、そして『まさか』だ」になるのだろう。脚本は内館牧子、原作が永井路子。しかし「まさか」を坂のひとつとして数え上げる地口には、さらに先例がある。講談、浪曲、落語の演目「徂徠豆腐」である。

江戸時代の儒学者、荻生徂徠(1666〜1728年)は父の蟄居に伴い、生地・江戸を離れたが、父の赦免に合わせて江戸に復帰している。芝増上寺の門前にある貧乏長屋で苦学を続ける20歳代の若者(実は荻生徂徠)が、豆腐屋の上総屋七兵衛に1丁の豆腐を注文する。よっぽど空腹だったのか、ガツガツと食らいつくが、食べ終わった後で4文の豆腐代が払えない。翌日も翌々日もただ食い。それでも、学者として大成し、世の中を良くしたいという若者の心意気に感じ入った七兵衛は、「出世払い」で構わないと言うばかりか、次の日から売れ残りの商品、おからなどを差し入れるのだった。

さて、元禄15年12月14日に赤穂浪士が吉良邸へ討ち入り。翌15日には、増上寺門前で火災が起こり、貰い火から七兵衛も焼け出されてしまう。全財産を失って、なりふり構わず生活するにしても、粋を重んじる江戸っ子だけに踏ん切りが要る。その胸の内の苦渋を「知らねえ土地へ行って夫婦二人でどんなに身を落としてなりとも一生懸命働こうよ。江戸の人間は、江戸でまさかこんなことはできねえと見栄があって、その『まさか』って坂がどうしても越せねえもんだ。知らねえ土地なら何しても構わねえ」と七兵衛が吐露……生きるため、心理的に越せない坂でも越さなければいけない。

話の行く末は、幕府側用人・柳沢吉保に抜擢された徂徠が、貧窮していた時期を助けてもらった恩返しに、10両の資金と元の場所に新しく建て直した店を七兵衛へ進呈する。かつては「おから先生」と揶揄されていた徂徠だけれど、偉くなっても「豆腐好きのただの学者」と自称し、至って謙虚なのだ。ところで、七兵衛がやっていたであろう「ぼてふり」だが、浪曲師の酒井雲(1898〜1973年)も豆腐の売り子であった。売り声の良いのを見込まれ、桃中軒雲右衛門の弟子として浪曲の世界に入り、あの演歌歌手・村田英雄(元・酒井雲坊)の師匠ともなった。
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通りすがりの夢想家。元(にして最後の)「トーヨー新報」編集人。現在は、一介の編集素浪人?



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「トーヨー新報」は、昭和33年(1958)創刊。大豆加工品(豆腐・油揚げ、納豆、豆乳、湯葉、凍り豆腐、もやし等)、こんにゃく、総菜業界をメイン購読者層に、月3回の旬刊紙「トーヨー新報」や業界関連データブック『豆腐年鑑』を発行。平成25年(2013)12月21日号、第1851号をもって終刊に至る。

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