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正直な豆腐屋、古川市兵衛

商売の心得で「三方よし」という言葉をよく聞く。買い手良し/世間良し/売り手良し――この三方が良いことが商売を長く続けていく秘訣だとか。シンプルに言えば、まず正直であることが求められているのではないか。

15大財閥のひとつ、古川財閥の創業者である古川市兵衛(1832〜1903年)は、幕末から明治の黎明期にかけてのサクセス・ストーリーを体現した立志伝中の人物として、様々な読み物に取り上げられた。明治・大正・昭和初期にかけて講釈師として人気を博した伊藤痴遊の『怪傑伝』では、「古川市兵衛の立志」なる一篇が含まれ、さらに篇中には「豆腐屋時代の正直」なる一章が設けられている。古川市兵衛は幼少の頃、棒手振(ぼてふり)として豆腐屋家業に携わっていたのである。

そもそも、市兵衛の生家の木村家は京都・岡崎の庄屋であったが、父の代には既に没落していた。市兵衛(=幼名・木村巳之助)は貧乏暮らし。ただ飯を食らっている訳にもいかず、豆腐を売って生計の資を得ることになる。ただの売り子では励みにもならないだろうし、100文につき4文の褒美を貰える約束だった。巳之助は連日、一生懸命に豆腐を売り歩いた。

ある日、白河村で駕籠かきと正面衝突し、豆腐箱が吹っ飛び、無論豆腐もめちゃめちゃ。駕籠かきに苦情を申し立てるが、逆に頭を小突かれ、駕籠に乗っていた武士もまともに取り合ってくれない。巳之助は自身が豆腐を売って得られる儲け、駕籠かきの日収なんぞを想像しているうちに、武士を羨ましく思う。そこへ品の良い大家の隠居らしき老人がやって来る。

望外にも、巳之助にいたく同情した隠居の口から、粉々に砕けて泥だらけになった豆腐の代金をすべて支払ってあげるとの申し出がなされた。対する巳之助は、その日の売り上げ目標は120文ばかりだけれど、「100文売ると私が4文ご褒美を貰うのですから、食べられない豆腐を買ってくださるなら、私の貰う4文を差し引いてお銭を下さいな」と正直な内訳を述べる。隠居は巳之助の実直さに感じ入り、「三つ子の魂百までと言うが、現在の心掛けを忘れちゃいけないよ」。ねぎらいの言葉とともに、4文の褒美を加えた代金を巳之助に手渡すのだった。

巳之助は、最前の高飛車な武士(の身分)にも羨望の念を抱いていたが、より一層、融通無碍な隠居の振る舞いに憧れる。この事件が巳之助を発奮させ、彼は父に請うて故郷の京都を離れると、盛岡の商人の下で修業に励むことになった。巳之助ではなく、古河市兵衛の物語がここから始まる。

参考文献:伊藤痴遊『快傑伝』(東亜堂書房)
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