蓼喰う文楽(2)
谷崎潤一郎の“人形浄瑠璃”観をコンパクトにまとめた随筆
として、「いわゆる痴呆の芸術について」があるとすれば、
人形浄瑠璃を具体的な小説作品の中で取り上げたものが
『蓼喰う虫』と言えるでしょう。学生時代に一読した頃、
人形文楽に関する描写は、小説の枝葉末節、装飾に類した
部分と見なしていたかもしれず、己の不明を恥じ入る次第。
☆
成るほど、人形浄瑠璃というものは妾(めかけ)の傍で酒を飲みながら見るもんだな。―――要はみんなが黙り込んでしまったあと、ひとりそんなことを考えながら仕様ことなしに舞台の上の「河庄」の場(in「心中天網島」)へ、ほんのりと微醺(びくん)を帯びた眼を向けていた。普通の猪口(ちょく)よりやや大ぶりな杯に一杯傾けたのが利いて来て、少しちらちらするせいか、舞台がずっと遠いところにあるように感ぜられ、人形の顔や衣裳の柄を見定めるのに骨が折れる。彼はじいっと瞳を凝らして、上手に座っている小春を眺めた。治兵衛の顔にも能の面に似た一種の味わいはあるけれども、立って動いている人形は、長い胴の下に両脚がぶらんぶらんしているのが見馴れない者には親しみにくく、何もしないでうつむいている小春の姿が一番うつくしい。不釣合いに太い着物の袘(ふき)が、すわっていながら膝の前へ垂れているのが不自然であるが、それは間もなく忘れられた。
☆
通り一遍の近代西欧文学に染まってしまうと、小説=“人間”ドラマ
などという一面的な思い込みに陥ってしまいがちなのですけれども、
おそらくは、「人間」という言葉におけるスパンが違う。“個性”を持っている
といわれる人間と、類型表現でしかなあり得い“仮面”や“人形”も、そう
大して違っている訳ではない、そういったパースペクティヴが成立するし、
むしろ、仮面や人形こそが(永遠に)“人間”を表象する物として残る。
☆
「僕には義太夫は分らないが、小春の形はいいですな」
―――半分ひとりごとのように云ったのが、お久には聞えた筈だけれど、誰も合い槌を打つ者もない。視力をはっきりさせるために要はたびたび眼(ま)ばたきをしたが、一としきり身の内のぬくまった酔いがだんだん醒めて来るにつれて、小春の顔が次第に刻明な輪廓を取って映った。彼女は左の手を内ぶところへ、右の手を火鉢にかざしながら、襟の間へ頤を落して物思いに沈んだ姿のまま、もうさっきから可なりの時間をじっと身動きもしないのである。それを根気よく視つめていると、人形使いもしまいには眼に入らなくなって、小春は今や文五郎の手に抱かれているフェアリーではなく、しっかり畳に腰を据えて生きていた。だがそれにしても、俳優が扮する感じとも違う。梅幸や福助のはいくら巧くても「梅幸だな」「福助だな」と云う気がするのに、この小春は純粋に小春以外の何者でもない。俳優のような表情のないのが物足りないと云えば云うものの、思うに昔の遊里の女は芝居でやるような著しい喜怒哀楽を色に出しはしなかったであろう。元禄の時代に生きていた小春は恐らく「人形のような女」であったろう。事実はそうでないとしても、兎(と)に角(かく)浄瑠璃を聴きに来る人たちの夢みる小春は梅幸や福助のそれではなくて、この人形の姿である。昔の人の理想とする美人は、容易に個性をあらわさない、慎しみ深い女であったのに違いないから、この人形でいい訳なので、これ以上に特長があっては寧ろ妨げになるかも知れない。昔の人は小春も梅川(in「冥途の飛脚」)も三勝もおしゅん(in「近頃河原の達引」)も皆同じ顔に考えていたかも知れない。つまりこの人形の小春こそ日本人の伝統の中にある「永遠女性」のおもかげではないのか。
参考文献:谷崎潤一郎『蓼喰う虫』(新潮文庫)
『谷崎潤一郎随筆集』(岩波文庫)
として、「いわゆる痴呆の芸術について」があるとすれば、
人形浄瑠璃を具体的な小説作品の中で取り上げたものが
『蓼喰う虫』と言えるでしょう。学生時代に一読した頃、
人形文楽に関する描写は、小説の枝葉末節、装飾に類した
部分と見なしていたかもしれず、己の不明を恥じ入る次第。
☆
成るほど、人形浄瑠璃というものは妾(めかけ)の傍で酒を飲みながら見るもんだな。―――要はみんなが黙り込んでしまったあと、ひとりそんなことを考えながら仕様ことなしに舞台の上の「河庄」の場(in「心中天網島」)へ、ほんのりと微醺(びくん)を帯びた眼を向けていた。普通の猪口(ちょく)よりやや大ぶりな杯に一杯傾けたのが利いて来て、少しちらちらするせいか、舞台がずっと遠いところにあるように感ぜられ、人形の顔や衣裳の柄を見定めるのに骨が折れる。彼はじいっと瞳を凝らして、上手に座っている小春を眺めた。治兵衛の顔にも能の面に似た一種の味わいはあるけれども、立って動いている人形は、長い胴の下に両脚がぶらんぶらんしているのが見馴れない者には親しみにくく、何もしないでうつむいている小春の姿が一番うつくしい。不釣合いに太い着物の袘(ふき)が、すわっていながら膝の前へ垂れているのが不自然であるが、それは間もなく忘れられた。
☆
通り一遍の近代西欧文学に染まってしまうと、小説=“人間”ドラマ
などという一面的な思い込みに陥ってしまいがちなのですけれども、
おそらくは、「人間」という言葉におけるスパンが違う。“個性”を持っている
といわれる人間と、類型表現でしかなあり得い“仮面”や“人形”も、そう
大して違っている訳ではない、そういったパースペクティヴが成立するし、
むしろ、仮面や人形こそが(永遠に)“人間”を表象する物として残る。
☆
「僕には義太夫は分らないが、小春の形はいいですな」
―――半分ひとりごとのように云ったのが、お久には聞えた筈だけれど、誰も合い槌を打つ者もない。視力をはっきりさせるために要はたびたび眼(ま)ばたきをしたが、一としきり身の内のぬくまった酔いがだんだん醒めて来るにつれて、小春の顔が次第に刻明な輪廓を取って映った。彼女は左の手を内ぶところへ、右の手を火鉢にかざしながら、襟の間へ頤を落して物思いに沈んだ姿のまま、もうさっきから可なりの時間をじっと身動きもしないのである。それを根気よく視つめていると、人形使いもしまいには眼に入らなくなって、小春は今や文五郎の手に抱かれているフェアリーではなく、しっかり畳に腰を据えて生きていた。だがそれにしても、俳優が扮する感じとも違う。梅幸や福助のはいくら巧くても「梅幸だな」「福助だな」と云う気がするのに、この小春は純粋に小春以外の何者でもない。俳優のような表情のないのが物足りないと云えば云うものの、思うに昔の遊里の女は芝居でやるような著しい喜怒哀楽を色に出しはしなかったであろう。元禄の時代に生きていた小春は恐らく「人形のような女」であったろう。事実はそうでないとしても、兎(と)に角(かく)浄瑠璃を聴きに来る人たちの夢みる小春は梅幸や福助のそれではなくて、この人形の姿である。昔の人の理想とする美人は、容易に個性をあらわさない、慎しみ深い女であったのに違いないから、この人形でいい訳なので、これ以上に特長があっては寧ろ妨げになるかも知れない。昔の人は小春も梅川(in「冥途の飛脚」)も三勝もおしゅん(in「近頃河原の達引」)も皆同じ顔に考えていたかも知れない。つまりこの人形の小春こそ日本人の伝統の中にある「永遠女性」のおもかげではないのか。
参考文献:谷崎潤一郎『蓼喰う虫』(新潮文庫)
『谷崎潤一郎随筆集』(岩波文庫)
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