サゲの問題

尼崎センタープール前までお出掛け。
15時から第29回「ほうらい寄席」の
開演です。本当はもう少し早めに
到着して、駅の北西に在るはずの
近代建築物件、旧「大庄村役場」を
チェックしたかったのですが、時間が
押していて、今回は諦めました。
銭湯「蓬莱湯」へ急ぎ足で舞い戻り、
何とか着席。まだ“お正月”ということか、手土産に地サイダーの小瓶を頂きました。
「河田商店」(京都市)の「ちょこさいだー」でした。今回も会場はほぼ満席で何より。
桂佐ん吉さんは、1月4日しか休日が無いと嬉しい悲鳴を上げておりました。トークの
後、佐ん吉は手堅く「子ほめ」。ネタ自体の問題になるのですけれど、江戸落語、上方
落語を問わず、もっと切れのある「子ほめ」のサゲは無いですかねえ? 桂吉の丞は
これまで聴いたネタの中では、一番しっくりと来た「素人浄瑠璃」。下手な義太夫節を
唸って疎んじられている旦那が、誰も聴きに来てくれずに、拗ねる様が抱腹絶倒。
(長屋の店子には豆腐屋もいて、法事の揚げや飛龍頭作りで忙しいと断りますよ)
要は「寝床」のサゲまで行かずに端折った形でして、桂枝雀の創出したスタイルです。
誰かが書いていたように思うのですが、落語のサゲは噺全体の出来を決定するような
大層なものではない。ここで噺は終わりますよ、というマーカーみたいなものだから、
纏綿たる人情噺がしょうもない地口で終わっても、それはそれ。目くじら立てて咎める
客もいない訳で、ならば、取り繕ったサゲなんか、いっそ省いてしまっても構わないでは
ないかという考え(もしかすると、枝雀の「素人浄瑠璃」も同発想?!)も有りとなります。
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