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身代矢受地蔵尊

2020_01_21_身代矢受地蔵尊 初春文楽公演」第2部の終演が20時頃で、しばらく
 ミナミを徘徊。「ビックカメラ」なんば店の南西、旧「精華
 小学校」跡地横、老舗の洋食屋「重亭」の前に在るのが
 「身代矢受地蔵尊」(大阪市中央区難波3丁目2−35)
 です。祠(ほこら)の上にさらに屋根が架かっているのは、
 身投げ死体の直撃を防ぐため……というのは悪い冗談。
 銅板上の「御地蔵尊御出現の由来」を転記します。
        ☆
 北御堂に安置されてありました当身代矢受地蔵尊
 は 宝栄(1707年)に島の内に住む大問屋の主人
 鴻池善右衛門さんがその生涯に於いて 徳を積まれ
 仏の如く慕われ 又 数々の施しをなされました事に
 対し その徳を忍んで当時の名工(作者不明)により
 面影をそのまま刻まれて 慈愛あふれる御尊顔と
 なりました。又 霊験あらたかにして 信仰する者は
幸福を授けられましたので 永く祭られて参りました。ところが 天明(1782年)
飢饉と火災より 御堂は焼失するも 御尊体は奇跡的に無事に安置されており
ました。後年 町内のある婦人の夢に現われた地蔵尊が水を欲しいと告げられ
たので 花の筒に水を入れられた処 その後 水の絶えた事の無い地蔵尊の
霊験に打たれ 以後 今日まで来ました事を伝え聞き 昭和二十七年 南盛会の
有志の方々が相寄り 子供達の健やかな成長と家内安全を願い この地に
御安置する事に成りました。

       ☆
(文章自体は平明なようで)なかなかに、悩ましい説明文です。
宝永年間であれば、鴻池善右衛門は鴻池家の最盛期を築いた
3代・宗利(1667~1736)に当たります。上方落語にもよく登場。
その顔を写した地蔵尊が当初、北御堂(=本願寺津村別院)に
設置されていた模様ですが、その後、天明の大飢饉はともかく、
天明年間に北御堂は火事に遭っているのか? 北御堂の焼けた
大坂大火は享保9年(1724)です……それとも、後代の別の火災を
仄めかしているのかな? また、地蔵尊は焼け出されて、北御堂から
別の土地に既に移っていたのか? それとも、「町内のある婦人」の
遺志を受け、昭和27年(1952)、北御堂から現在地に譲り受けたのか? 
天明と昭和の間に、思い切り、省略が加えられているのですかねえ。 
昭和20年(1945)の大阪大空襲により、津村別院も全焼しましたから。
その時点で、焼け残っていた(或いは既に移されていた)地蔵尊が、
中央区難波3丁目に安置されることが決定した、と読むのが、最も
あり得そうなパターンか、と。しかしながら、そもそもが「御出現
についての由来であって、何故、“身代矢受”地蔵尊なのか、一切
説明は無し。何故、ここに在るのかを口籠もり、それが何者であるかに
ついては触れず。善右衛門さんが誰かの身代わりに矢を受けたのか? 
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テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 仏像史跡

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
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