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小豆の豆腐でなければ

安楽庵策伝(1554〜1642年)は、江戸時代初期の浄土僧・茶人・笑話作者。「落語」の祖とも呼ばれるのは、策伝の著した『醒睡笑』に落語の元ネタがふんだんに盛り込まれているから。京都・誓願寺竹林院の住持を務め、後に茶室・安楽庵を結ぶ。話し好きで社交好きな僧というイメージを得れば、精進料理であり、ちょっとした庶民の贅沢品(?)でもある豆腐がその著作中に登場しても不思議ではあるまい。なるほど、読み進めれば、豆腐を扱った小噺がいっぱい出てくる。

すぐれてしはき者の、たまたま得たる客あり。「何をがなと思ひても、在郷の風情なれば、心ばかりや」といふ処へ、「豆腐は、豆腐は」と売りに来れり。亭主、「豆腐を買はん。さりながら、小豆の豆腐か」。「いや、いつもの大豆(まめ)ので候」と。「それならば買ふまい。めづらしうあるまいほどに」と、亭主の口上、作為あるやうにて、とかくきたなし。

この挿話は、「巻之二」の「吝太郎(しはたろう)」と題された章に収められている。吝嗇な人、けちな人物を面白おかしく取り上げた個所である。

大変なけちん坊の下に、たまたま客があった。けちな亭主の言い分は「何かもてなしたいとは思うけれど、田舎のことだから、大したこともできなくて」とまことしやか。そこへちょうど豆腐屋が通りかかり、「豆腐は(要らないか)」と売り声を上げる。亭主は素知らぬ顔で、「豆腐を買おう。しかし、小豆の豆腐だろうな」と豆腐屋に問う。小豆で豆腐は作れない(「小豆の豆腐」という例えもある)。「大豆で作った豆腐です」との返答は了承済み。亭主は客の前で見栄を張り、「大豆で作った豆腐なら買わない。珍しくも何ともないし」と出費を免れた次第。策伝は続ける。

「人の性 平らかならんと欲すれば、嗜欲これを害す」と『淮南子』にも書きたり。

きたなし(=「欲深い」くらいの意味か)に対する浄土僧らしい注釈だろうが、さて、問題は『淮南子』から引用した点。『淮南子』は漢の時代の淮南王・劉安の撰。劉安といえば、豆腐の製造法や道具を時の朝廷や諸侯に献上し、豆腐の始祖とも目される人物。ただ節制を説くだけならば、他の典籍からでもよいものを、わざわざ『淮南子』を持ち出したところに、豆腐のルーツにまつわる連想が働く。策伝の豆腐についての基礎教養が窺われないだろうか? 

参考文献:安楽庵策伝『醒睡笑(上)』(岩波文庫)
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