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豆腐の発祥を見直す

何事についても、発祥や始祖の類は神話や伝説めいた薄靄の中に包まれていて、現在では判然としないことが多々ある。「らしい」とか「だろう」といった揣摩憶説に振り回されることなく、足元を固めることが必要だ。新説に飛びつく前に、では、現行の説は何に基づいたものだったのか、裏を取っておくこと。文献をたどり、史料を確定させた上で、何が本当に確かなことなのかを見直す作業も毎回重要になる。

実在の人物であるにもかかわらず、「豆腐を発明した」といわれることで、伝説に近い存在ともなっているのが漢の淮南王・劉安(〜B.C.122年)だ。『淮南子』の編著で知られ、漢の高祖劉邦の孫に当たる学者だが、謀反の嫌疑を受けて自殺したため、判官びいきの対象となっている嫌いもある。が、劉安自身の著作に「豆腐」の製法はおろか、その名前すら出てこない。ただ明の李時珍の著した『本草綱目』(1578年)が、劉安を豆腐の始祖と記すのみである。

6世紀の農書・料理書『斉民要術』の大豆の条にも見えなければ、隋、唐の料理の献立にも「豆腐」の名は見えない(ここで、さらなる問題は、豆腐の製法が見受けられない以前に、何の字をもって「大豆」と同定すべきか、揺らいでいる点)。しかし逆から言うと、「豆腐」という言葉がなくとも、豆腐という大豆加工品の製法を明らかに指し示すものがあればよい。故・篠田統博士が「豆腐」という字を初めて見出したのは、宋代初期の陶穀『清異録』(965年)において。そこから、豆腐は唐時代の中頃、8〜9世紀に発明されたのではないかと推測するのだが、直接的な裏付けはなかった。

『清異録』を遡る史料はないのか? 河北省満城の前漢中山王劉勝の墓で発見された石臼によって豆腐製造は可能──と、粉体と石臼研究の第一人者であった故・三輪茂雄博士がかつて主張した。河南省密県で発掘された打虎亭一号墓の東耳室南壁に描かれている豆腐製造の図を決定的な証拠と見なそうとする動きもあったが、中国の雑誌「農業考古」の編集主任、陳文華が1991年1月号で発表したものは、豆腐の図であるとの先入観をもって修正を加えたイラスト。1993年に公開された打虎亭一号墓の鮮明な写真から、孫機という学者は醸造の図と推定し、陳氏との間で再三にわたる論争を引き起こした。ちなみに、問題の工程図には(石臼や)加熱シーンが見当たらず、密県は淮南より約400キロメートルも離れている。

参考文献:篠田統、秋山十三子『豆腐の話』(駸々堂)
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