六条豆腐
山形県・西川町に岩根沢という集落がある。月山、羽黒山、湯殿山の出羽三山信仰の登拝口であり、現在、岩根沢三山神社である旧「日月寺」門前の宗教集落でもある。出羽三山は出羽三山神社の社伝によると、崇峻天皇の皇子、蜂子皇子(能除太子)が開山。父・崇峻天皇を蘇我氏に弑逆された蜂子皇子は出羽国に入った。片方の羽だけで8尺(2メートル40センチメートル)、3本足の八咫烏の導きを得て羽黒山に登ると、苦行の末、羽黒権現・月山権現・湯殿山権現の示現を拝し、祀って、開祖となった。さて、六浄豆腐を製造する「六浄本舗」も、やはり岩根沢に位置する。六条豆腐とは何か?
飴色というか、べっ甲色というか、半透明のすばらしく固い豆腐。はじめ塩を振って豆腐の水分を除き、次に日に干しあげて乾燥する、と伝えている。羽黒山伏が峯歩きの折の携行食の一つ。今、私たちは、カンナか小刀で薄くけずり、吸い物の具などに使うが、その昔、修験者たちは、薄くけずり、水にひたしでもして、峯歩きのおりの貴重な食糧としたのであろう。峯歩きのおりの食料は、修験者にとっては最高の口伝(口伝えの記録。文字には決して記さない。芭蕉も「総而(そうじて)此山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よりて筆をとゞめて記さず」と『奥の細道』羽黒山の項に記す)。六条豆腐を修験者たちが、どう食べたものか、今では、その口伝も絶えた。
カンナで削らねばならないほど真剣に堅い六条豆腐—この世で最も硬い食品といえば、かつお節が思い当たる。削って吸い物や酢の物に入れるといった使用法もそっくりとはいえ、元は豆腐。大豆加工品だから、カツオのような生臭物ではない。製造過程で殺生を働いていないことから、六条豆腐は別名「精進節」とも呼ばれている。元々は京都・六条で製造されていたらしく、六条から出羽三山へ出向いた修験者がそれを伝えたそうだ。羽黒山の修験者が月山の農家の人に作り方を教えたという伝説もある。もっとも、「他言することを禁ず」なのだから、どこまで信頼できる情報かはわからない。
「六浄本舗」の方で、「六条」を「六浄」と商品名で改めたのは、修験者が登山の際に掛け声として「六根清浄」という語句を用いることから。俗に、「どっこいしょ」は「六根清浄」の音便の訛りだといわれている。
参考文献:近藤弘『日本うまいもの辞典』(東京堂出版)
飴色というか、べっ甲色というか、半透明のすばらしく固い豆腐。はじめ塩を振って豆腐の水分を除き、次に日に干しあげて乾燥する、と伝えている。羽黒山伏が峯歩きの折の携行食の一つ。今、私たちは、カンナか小刀で薄くけずり、吸い物の具などに使うが、その昔、修験者たちは、薄くけずり、水にひたしでもして、峯歩きのおりの貴重な食糧としたのであろう。峯歩きのおりの食料は、修験者にとっては最高の口伝(口伝えの記録。文字には決して記さない。芭蕉も「総而(そうじて)此山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よりて筆をとゞめて記さず」と『奥の細道』羽黒山の項に記す)。六条豆腐を修験者たちが、どう食べたものか、今では、その口伝も絶えた。

「六浄本舗」の方で、「六条」を「六浄」と商品名で改めたのは、修験者が登山の際に掛け声として「六根清浄」という語句を用いることから。俗に、「どっこいしょ」は「六根清浄」の音便の訛りだといわれている。
参考文献:近藤弘『日本うまいもの辞典』(東京堂出版)
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