彼女が麻婆豆腐を駄目な理由
2011年、『苦役列車』で第144回芥川賞を受賞している西村賢太。近頃は歯に衣着せぬ暴言(?)により、テレビ出演でも注目されているようですが、その短篇集『人もいない春』には、納豆や豆腐が頻出する作品も収められています。
「今日ぼく、外で美味しいラーメン屋を見つけてよ、早速おまえにも食べさしてやりたくなったんだけど、生憎そこは夜九時までしかやってないんだとよ。と云って、何もおまえがパートを休むまでもないところからさ、仕方なく早目に出前で取り寄せておいたと云う次第なんだ。ほら、早くオーバーを脱いで手を洗ってきちゃえよ。それとも、先に風呂に入るか? その間にぼく、これをレンジで順番にあっためておくから」
「納豆の天ぷらを作ろうと思ってたんだけど……じゃ、急いでご飯だけ炊こうか?」
――西村賢太「赤い脳漿」より引用。作者の分身と思われる私小説の主人公・貫太と同棲相手・秋恵との会話。年少の頃から下流生活を続け、ひがみ根性が身に染みている貫太だけれど、説明臭い饒舌の最中、どうしようもなく甘っちょろい優しさを示す時だってある。2人のつましい生活の有り様が普段の夕食の一品「納豆の天ぷら」に表れている。
ところで、秋恵はなぜか麻婆豆腐が「苦手かも」と言う。どこかの店で自分だけ冷や奴を注文したことがあったくらい、豆腐が好きなのに、麻婆豆腐だけは駄目。しかし、そうなると「秋恵とは真逆に麻婆は好物だが冷奴とか湯豆腐はどうにも食べ物としての魅力は感じない」貫太だって、何やら子細があるのだろうと気に懸かる。いやいや、神経質で嫉妬深く、猜疑心が強く、執念深い貫太だもの。どうやったって、根掘り葉掘り追及して、ねちっこく聞き出す訳なのです。
「僅かに眉根まで寄せた秋恵が何やら一大事でも打ち明けるように、毎度ながらの大袈裟で廻りくどい説明でもって話したところを要約すれば、彼女が小学二年時の夏休みに友達と自転車で遊んでいると、突如表通りの国道の方で凄まじい車のブレーキ音があり、続いてとてつもない衝突音が響いてきたそうである。で、たちまち複数の人の怒声と絶叫が飛び交いだしたのに、はな、彼女はそこへ行ってみるつもりはなかったものの――」
おや、こんな時間にドアをノックする人がいるのだけれど……。
参考文献:西村賢太『人もいない春』(角川文庫)
「今日ぼく、外で美味しいラーメン屋を見つけてよ、早速おまえにも食べさしてやりたくなったんだけど、生憎そこは夜九時までしかやってないんだとよ。と云って、何もおまえがパートを休むまでもないところからさ、仕方なく早目に出前で取り寄せておいたと云う次第なんだ。ほら、早くオーバーを脱いで手を洗ってきちゃえよ。それとも、先に風呂に入るか? その間にぼく、これをレンジで順番にあっためておくから」
「納豆の天ぷらを作ろうと思ってたんだけど……じゃ、急いでご飯だけ炊こうか?」
――西村賢太「赤い脳漿」より引用。作者の分身と思われる私小説の主人公・貫太と同棲相手・秋恵との会話。年少の頃から下流生活を続け、ひがみ根性が身に染みている貫太だけれど、説明臭い饒舌の最中、どうしようもなく甘っちょろい優しさを示す時だってある。2人のつましい生活の有り様が普段の夕食の一品「納豆の天ぷら」に表れている。
ところで、秋恵はなぜか麻婆豆腐が「苦手かも」と言う。どこかの店で自分だけ冷や奴を注文したことがあったくらい、豆腐が好きなのに、麻婆豆腐だけは駄目。しかし、そうなると「秋恵とは真逆に麻婆は好物だが冷奴とか湯豆腐はどうにも食べ物としての魅力は感じない」貫太だって、何やら子細があるのだろうと気に懸かる。いやいや、神経質で嫉妬深く、猜疑心が強く、執念深い貫太だもの。どうやったって、根掘り葉掘り追及して、ねちっこく聞き出す訳なのです。
「僅かに眉根まで寄せた秋恵が何やら一大事でも打ち明けるように、毎度ながらの大袈裟で廻りくどい説明でもって話したところを要約すれば、彼女が小学二年時の夏休みに友達と自転車で遊んでいると、突如表通りの国道の方で凄まじい車のブレーキ音があり、続いてとてつもない衝突音が響いてきたそうである。で、たちまち複数の人の怒声と絶叫が飛び交いだしたのに、はな、彼女はそこへ行ってみるつもりはなかったものの――」
おや、こんな時間にドアをノックする人がいるのだけれど……。
参考文献:西村賢太『人もいない春』(角川文庫)
- 関連記事
-
- 西六条の妖怪 (2012/06/06)
- 豆腐の家計支出金額(2011年) (2012/05/08)
- 彼女が麻婆豆腐を駄目な理由 (2012/04/03)
- 六条豆腐 (2012/03/07)
- 焼き豆腐の“形”の変遷 (2012/02/07)
スポンサーサイト