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「陶然亭」の湯豆腐(1)

中国文学史の泰斗、青木正児(1887〜1964年)が、その該博な知識と実体験を織り交ぜてしたためたエッセーのひとつに「陶然亭」がある。高台寺××町の北側に位置したという店について、あれこれ思い出されることが書き連ねられる。「物価の安いあの頃でも、あの家くらい下値で気持よく飲ませてくれる家は多くなかったであろう」と言われ、「あの家の亭主は支那浪人上りで多少文字もあり、趣味を解し、好事で凝り性で、呑気で鷹揚で、寡欲恬淡で、何よりも好いことは酒の味が分り、酒人の気持を呑込んで、少しでも客に酒を旨く飲ませようと力むる親切気のあった」とあれば、飲食を愛する者ならば、ぜひとも足を運びたくなる理想の店に見えてくる。

しかも、この「陶然亭」の冠木門脇の建仁寺垣の中から覗く細長い小旗に記されている文句が「湯豆腐ちり鍋蓬萊鍋」とあっては、豆腐好きも見て見ぬふりはできまい。建物自体は、素朴な変哲もない二階家なのだが、破風造りの小屋根を持った入り口が半間ほど突き出し、酒袋の古布で作った暖簾が垂れる。破風の中間に掲げられたケヤキの板額に「陶然亭」と刻まれてある。暖簾をくぐって、土間を越えた辺りの鴨居に懸かった扁額に見出されるのは、蔭軒外史の達筆な大書「淮南遺法」だ。「淮南」とは明らかに、「豆腐を発明した」といわれる漢の淮南王・劉安のことだろう(2012年1月「豆腐の発祥を見直す」参照)。つまり伝説的な豆腐の創始者、淮南王の残した秘法を受け継ぐと言わんばかりに、「ここの料理の呼び物が湯豆腐・ちり鍋にあることを標榜」している訳である。

酒客がこの店に来遊して着席すると、給仕娘が一枚刷りの「陶然亭酒肴目録」を呈示する。まずは「御銚子」の中から酒の銘柄を選び出し、ちびちびと始めるための「御撮肴(おつまみ)」を見繕う。一言でおつまみと言っても、シンプルながら膨大な数が用意されていて、大豆関連に絞ってかいつまんでみても、醤油炒大豆、油炒黒豆、豆腐田楽、軟煮大豆、軟煮黒豆、坐禅豆(2012年1月「座禅大豆」参照)、大徳寺納豆、浜名納豆、糸引納豆、醤豆腐(豆腐味噌漬)、嘗味噌類……と続く様は壮観だ。ちなみに醤豆腐とは、別のエッセー「〓菜譜」によると、「表面は赤褐色で腐爛したようになっているが、中は灰白色で、ちょうど軟製チーズを今少し軟らかにした加減に固まっている」とされる。

※「〓」は「酉」+「奄」

参考文献:青木正児『華国風味』(岩波文庫)
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たまに「考える人」、歴史探偵。
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