ジヴェルニーの食卓
10月の読書会のテクストは、原田マハの『ジヴェルニーの食卓』。
西洋近代絵画の巨匠を取り上げた4つの短編から成っています。
9月にも一読していますが、再読を果たし、覚え書きを記すのです。
「うつくしい庭」は、Henri Matisse(1869~1954)の晩年を
インタビュー形式(一人称)で描きます。ピカソとの交友場面が
胸を打ちますが、テクニカルには、一人称を活かした“語りの場”
(南仏ヴァンスのドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂)がポイント。
「エトワール」は既に亡くなった Edgar Degas(1834~1917)を
語っているように見えつつも、ドガと対照させられることになる
残されたメアリー・カサットの視点が勘所。近代的な芸術/生活の
乖離がテーマといえ、4編中、最も身につまされた作品でした。
書簡体形式の「タンギー爺さん」は、てっきり、ゴッホが主役か
と思いきや、Paul Cézanne(1839~1906)の物語で、舞台
(タンギーの営む画材屋)には一向に姿を現さないのが面白く。
ちょっとした近代絵画論にもなっていますね。ゴッホがメインを
張らないのは、長編 『たゆたえども沈まず』で描かれているから?
と勘繰ってみたり、現場不在という設定がセザンヌらしいなあ
と感心したり。『睡蓮』大装飾画の制作に苦しむ Claude Monet
(1840~1926)の姿を描いた「ジヴェルニーの食卓」が、一番
“小説”らしい小説のスタイルでして、オシュデ一家との関係など、
ゴシップ趣味が満載。しかし、下世話にならない筆致を貫いて、
爽やかな感動に誘います。こうして見ると、どの作品も画家の晩年
~死(不在のセザンヌの代わりに、タンギー爺さんが亡くなります)を
描いていることが判然。ライトな印象と裏腹の堅固な構成力に感服。
参考文献:原田マハ『ジヴェルニーの食卓』(集英社文庫)
西洋近代絵画の巨匠を取り上げた4つの短編から成っています。
9月にも一読していますが、再読を果たし、覚え書きを記すのです。
「うつくしい庭」は、Henri Matisse(1869~1954)の晩年を
インタビュー形式(一人称)で描きます。ピカソとの交友場面が
胸を打ちますが、テクニカルには、一人称を活かした“語りの場”
(南仏ヴァンスのドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂)がポイント。
「エトワール」は既に亡くなった Edgar Degas(1834~1917)を
語っているように見えつつも、ドガと対照させられることになる
残されたメアリー・カサットの視点が勘所。近代的な芸術/生活の
乖離がテーマといえ、4編中、最も身につまされた作品でした。
書簡体形式の「タンギー爺さん」は、てっきり、ゴッホが主役か
と思いきや、Paul Cézanne(1839~1906)の物語で、舞台
(タンギーの営む画材屋)には一向に姿を現さないのが面白く。
ちょっとした近代絵画論にもなっていますね。ゴッホがメインを
張らないのは、長編 『たゆたえども沈まず』で描かれているから?
と勘繰ってみたり、現場不在という設定がセザンヌらしいなあ
と感心したり。『睡蓮』大装飾画の制作に苦しむ Claude Monet
(1840~1926)の姿を描いた「ジヴェルニーの食卓」が、一番
“小説”らしい小説のスタイルでして、オシュデ一家との関係など、
ゴシップ趣味が満載。しかし、下世話にならない筆致を貫いて、
爽やかな感動に誘います。こうして見ると、どの作品も画家の晩年
~死(不在のセザンヌの代わりに、タンギー爺さんが亡くなります)を
描いていることが判然。ライトな印象と裏腹の堅固な構成力に感服。
参考文献:原田マハ『ジヴェルニーの食卓』(集英社文庫)
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