西大寺観
「西大寺」について考えていると、釈然としないような、
何かしら、喉につかえるような、もやもやした感興を覚え、
一体、それが何なのか? 言葉にしてみようかな、と。
「南都七大寺」の1つであり、“二流”とは決して言えない
はずなのに、今ひとつ、吹っ切れた印象を持てないのは
何故なのか? あくまで、ぼく個人のイメージの話です。
☆
「東大寺」に対する「西大寺」……というだけで、二番煎じ
のような気がします。しかも、方や聖武天皇の勅願(743)、
方や娘の孝謙(称徳)天皇の勅願(764)となり、父・聖武帝
と比べられて分が悪いだけでなく、道鏡を寵愛したことから、
すこぶる世間受けが宜しくないものね。スタート地点からして、
不人気の種が播かれてしまいました。その後、平安時代を
通して衰退していたところ、鎌倉時代の半ば、興正菩薩
(叡尊)によって、見事に復興を遂げます。伝説化の中、
叡尊の念持仏であったという「愛染明王坐像」の放った
鏑矢が、弘安4年(1281)の弘安の役(元寇)において、
蒙古軍を敗退させたといわれるのですけれども、善円の
造仏がどれだけ優れていようとも、“戦勝祈願”といった
ご利益が時勢にそぐわなくなってしまったので、痛し痒し。
本堂の本尊「釈迦如来立像」は「清凉寺」の同像の摸刻、
四王堂の本尊「十一面観音立像」は「長谷観音」……
どれも悪くはないんですけどねえ。でも、手放しで推せない。
そのもどかしさは、関係者が皆痛感していると思われまして、
まずは道鏡を再評価しようと、「道鏡を知る会」は40年以上、
顕彰活動を続けてきたそうです。聚宝館では、同会の発願で
籔内佐斗司の制作した「道鏡禅師彫像」を鑑賞しましたよ。
何かしら、喉につかえるような、もやもやした感興を覚え、
一体、それが何なのか? 言葉にしてみようかな、と。
「南都七大寺」の1つであり、“二流”とは決して言えない
はずなのに、今ひとつ、吹っ切れた印象を持てないのは
何故なのか? あくまで、ぼく個人のイメージの話です。
☆
「東大寺」に対する「西大寺」……というだけで、二番煎じ
のような気がします。しかも、方や聖武天皇の勅願(743)、
方や娘の孝謙(称徳)天皇の勅願(764)となり、父・聖武帝
と比べられて分が悪いだけでなく、道鏡を寵愛したことから、
すこぶる世間受けが宜しくないものね。スタート地点からして、
不人気の種が播かれてしまいました。その後、平安時代を
通して衰退していたところ、鎌倉時代の半ば、興正菩薩
(叡尊)によって、見事に復興を遂げます。伝説化の中、
叡尊の念持仏であったという「愛染明王坐像」の放った
鏑矢が、弘安4年(1281)の弘安の役(元寇)において、
蒙古軍を敗退させたといわれるのですけれども、善円の
造仏がどれだけ優れていようとも、“戦勝祈願”といった
ご利益が時勢にそぐわなくなってしまったので、痛し痒し。
本堂の本尊「釈迦如来立像」は「清凉寺」の同像の摸刻、
四王堂の本尊「十一面観音立像」は「長谷観音」……
どれも悪くはないんですけどねえ。でも、手放しで推せない。
そのもどかしさは、関係者が皆痛感していると思われまして、
まずは道鏡を再評価しようと、「道鏡を知る会」は40年以上、
顕彰活動を続けてきたそうです。聚宝館では、同会の発願で
籔内佐斗司の制作した「道鏡禅師彫像」を鑑賞しましたよ。
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tag : 仏像