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香薬師の右手

新薬師寺」の複製「香薬師像」から、盗難事件の経緯を
調べていて、やっぱり、よくわかりませんでした。途中経過で
手足も切断されていて、統合されたイメージすらつかめない。
(両足はともかく、両手なの? 右手だけなの?とか)
きちんとまとめられた文献に当たってみなければ――と、
貴田正子『香薬師像の右手』を読むことにします。終盤、
夫の貴田晞照が奈良県吉野大峯山修験道の正大先達
と明かされ、何だかずるいよなぁ。やっかむ訳ですけれども、
根気の要る取材を続け、仏像に対する愛がありましたから。
香薬師像の盗難に関する経緯は、以下のとおりとなります。
       ☆
明治23年(1890)【盗難・1回目】
 発見場所:新薬師寺から約800m離れた天満天神社
 被害状況:右手が離れ落ちる。
        本体と右手ともに捨てられているのが発見される。
 ・寺に戻った後、右手をつなぐ補正。
明治44年(1911)【盗難・2回目】
 発見場所:大阪・住吉の田畑の中
 被害状況:右手が再び落とされて、両足は足首から切断。
        本体と右手は発見されたが、両足は亡失。
 ・寺に戻った後、右手を銅版で固定し、木製の両足を補う。
昭和17年(1942)
 竹林薫風水島弘一の2人が実物を石膏で型取りする。
 水島が本体に右手、両足、台座を新たに造り付ける。
昭和18年(1943)【盗難・3回目】
 被害状況:香薬師本体が盗まれ、現在も行方不明。
 本物の右手は寺に残され、一時警察に保管される。
       ☆
竹林薫風、水島弘一の石膏雌型からは、いくつかの複製が
造られているようで、竹林型複製(石膏像)は茨城県笠間市、
鋳造された水島型複製(銅造)は「東慶寺」(神奈川県鎌倉市)、
奈良国立博物館」……ぼくの相見えた新薬師寺の複製も
水島型ではありました。ところで、2回目と3回目の盗難の
間を見て気付くように、1回目の盗難時に落ちてしまった右手
(オリジナル)は新薬師寺に残されており、3回目の盗難に
遭った分は、水島弘一が銅で模造した右手だったのです。
では、香薬師本体とは別に、どこかに確実に存在するはずの
右手はどこに?という探求の旅が、貴田正子の労作なのでした。

参考文献:貴田正子『香薬師像の右手』(講談社)
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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