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稲見一良の「終着駅」

12月の読書会のテクストが 稲見一良の短編集『セント・メリーのリボン』で、
集中の一編「終着駅」に、近代建築好きには何とも言えないパラグラフが
あります。昔から好きな作家で、目にしていたはずなのに、建築好きになり、
初めて浮き上がって見えてくる文章です。スペイン風邪で亡くなった辰野金吾
(1854~1919)の設計による「東京駅 丸の内駅舎」(1914年開業)が舞台。
       ☆
 わたしにとって東京駅は、丸の内側のこの赤レンガ駅舎である。八重洲口の方は単なるコンクリートの塊だ。ふくれ上がった輸送の、巨大な容器(うつわ)でしかない。
 丸の内側の東京駅は、世界に誇る建築物だ。もともと皇居つまり江戸城に正対して作られたものだから、明治の日本人の思想がバックボーンを貫いている。日本国有鉄道、いや大日本帝国の誇りがある。
 南北に三百メートルを越す横に長い構造は、皇居を威圧することのないよう配慮された設計だという。この横に長い構造と赤レンガが美しさを決定づけている。
 そして左右対称の位置に築いた八角形のドームでもって、建物は古典的な典雅豪壮な姿となった。また青いスレート葺きの屋根や、白い花崗石
(みかげいし)や漆喰の窓枠が、赤レンガと絶妙のコントラストとなっている。
 大正時代の関東大震災、そして第二次大戦の戦災にもびくともしなかった赤レンガは、東京は足立区の土を使った国産である。その赤レンガ九百万個を一つ一つ入念に積上げた明治、大正の職人たち……。東京駅はまさに手仕事の一大作品であり、当時の日本の職人の心意気の結晶である。

       ☆
作品の発表年代で考えるよりも、作品の設定年代で読んでみる方が
正当な態度でしょう。国鉄の分割民営化により、JR が発足したのが
昭和62年(1987)4月1日――などと計算せずとも、少し後の文章でも
大正三年、一九一四年に開業して、すでに八十年近く経った。
レンガ建築の耐久年数は半世紀とされている。東京駅も齢をとった。
とり壊して再開発するという話もあるようだ
」と書かれています。
昭和末期~平成時代の幕開けの頃でしょうか。ただ、丸の内駅舎は
昭和20年(1945)の戦災によって、南北2つのドームと屋根・内装を消失。
戦後の戦災復興工事(1947)を経て、2階建てに改修され、南北ドームも
(中央部分と同様に)寄せ棟にするという応急処置のまま、平成24年
(2012)の保存・復原工事完成まで、南北のドーム(=丸屋根)は
ほぼ1世紀近く存在しなかったことになります。となれば、作中の
「ドーム」は一体、何を指すのか? 往年の東京駅を見覚えている
人ならば、あの寄せ棟を「ドーム」と表現するのは躊躇するでしょう。
そこで、はっと気付くのです。稲見一良の「終着駅」は、世界大戦
だろうと、何だろうと、身揺るぎもしない“男の物語”なのだ、と。
駅舎はびくともしないし、南北ドームも壊れなかった世界なのです。

参考文献:稲見一良『セント・メリーのリボン』(光文社文庫)
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テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

tag : 小説近代建築

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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