寺川まで
大和川水系の寺川は、中流において、奈良県桜井市や
橿原市を流れています。「安倍文殊院」からの帰途、
時折、氷雨に吹き付けられながら、近鉄・桜井駅を
目指して、早歩き。バスの便も無ければ、タクシーも
拾える雰囲気ではありませんでしたから。独りでならば、
どこまでも速く、遠くまで行けるはず。しばらくは、誰と
行き交うこともなく、頭の中の地図を頼りに、道なりに
北上するだけ。ふと気付けば、おそらくは寺川に注ぐ
であろう用水路(?)に架かった橋(右上画像)を渡って
いました。名前の無い橋も好物です。水流の西側に
橋脚の残骸めいた、石碑のようにも見えるコンクリートの
塊が在りましたが、委細は未確認。「稲田酒店」の
裏手に位置しています。程良い所で、右折(東進)。
☆
古代は官道(=横大路)だったのかしら。
「仁王堂八幡神社」(奈良県桜井市谷
170)を左手に過ぎ、勾配を感じ出す頃、
寺川に架かる「小西橋」(左画像)が見えて
きました。西詰の袂付近には地蔵菩薩像が
建っています。横大路に対して、寺川は
斜めに流れている格好。小西橋を渡らずに、
寺川の左岸を上流に歩いても、すぐに国道
169号でして、「磐余(いわれ)橋」南詰です。
☆
南北に走る国道169号は寺川を磐余橋で渡り、東西に
延びる横大路は小西橋で寺川を渡ることになります。
磐余橋と小西橋と(斜辺を成す)寺川によって、三角形が
作られ、直角部分の角地には祠が建っていました
(右下画像・右端)。何が祀られていたかは、ぱっと見では
判然とせず、また機会があれば、調査してみたいな、と
思います。169号と横大路が交わる交差点の名称は
“小西橋東詰”……“磐余橋北詰”でもよいように見受け
られますが、もやもやと脳裏を掠めることがあり、この橋は
いつか渡ったことがあるような、ないような……独りでは
なかったのか、どうなのか。人間は橋。渡り切った後は、
順にぽろぽろと焼け落ちていくしかない、一本一本の橋。

橿原市を流れています。「安倍文殊院」からの帰途、
時折、氷雨に吹き付けられながら、近鉄・桜井駅を
目指して、早歩き。バスの便も無ければ、タクシーも
拾える雰囲気ではありませんでしたから。独りでならば、
どこまでも速く、遠くまで行けるはず。しばらくは、誰と
行き交うこともなく、頭の中の地図を頼りに、道なりに
北上するだけ。ふと気付けば、おそらくは寺川に注ぐ
であろう用水路(?)に架かった橋(右上画像)を渡って
いました。名前の無い橋も好物です。水流の西側に
橋脚の残骸めいた、石碑のようにも見えるコンクリートの
塊が在りましたが、委細は未確認。「稲田酒店」の
裏手に位置しています。程良い所で、右折(東進)。
☆

「仁王堂八幡神社」(奈良県桜井市谷
170)を左手に過ぎ、勾配を感じ出す頃、
寺川に架かる「小西橋」(左画像)が見えて
きました。西詰の袂付近には地蔵菩薩像が
建っています。横大路に対して、寺川は
斜めに流れている格好。小西橋を渡らずに、
寺川の左岸を上流に歩いても、すぐに国道
169号でして、「磐余(いわれ)橋」南詰です。
☆
南北に走る国道169号は寺川を磐余橋で渡り、東西に

延びる横大路は小西橋で寺川を渡ることになります。
磐余橋と小西橋と(斜辺を成す)寺川によって、三角形が
作られ、直角部分の角地には祠が建っていました
(右下画像・右端)。何が祀られていたかは、ぱっと見では
判然とせず、また機会があれば、調査してみたいな、と
思います。169号と横大路が交わる交差点の名称は
“小西橋東詰”……“磐余橋北詰”でもよいように見受け
られますが、もやもやと脳裏を掠めることがあり、この橋は
いつか渡ったことがあるような、ないような……独りでは
なかったのか、どうなのか。人間は橋。渡り切った後は、
順にぽろぽろと焼け落ちていくしかない、一本一本の橋。
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