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沢村真と納豆、再び

明治38年(1905)、沢村真博士が納豆菌の純粋培養に成功した件に前回触れた。納豆の近代化を決定づける端緒となる出来事だった。納豆菌の培養に成功したという事実は、自然条件に頼ることなく、生産者の意思で納豆を計画的に製造できることを意味するからだ。沢村博士の代表的な著書『営養学』の「豆類と雑穀」の章から、続けて引用しよう。

納豆菌は通常稻藁に附着して居るから、煮大豆を藁苞に入れて暖所におけば、忽ち繁殖して納豆となる。尤も藁には他の細菌も居れど、大豆には納豆菌が最も能く繁殖するので、他の細菌は之に壓倒されて繁殖せぬ。然し納豆となつて日を経て、納豆菌の勢力が衰へれば他の細菌が繁殖して納豆を腐敗させる。又初めから藁が汚くて、他の細菌が多いやうであれば、大豆は直に腐敗して納豆にならぬ

日本という風土にあっては、稲藁に煮大豆を入れておくだけで納豆が自然と出来上がり、他の雑菌の存在も問題にならないという自然発生的な納豆の製造法が述べられている。ただし、納豆菌が繁殖期を過ぎて衰えたり、藁の状態が衛生的でないために他の雑菌が優勢であったりすれば、煮大豆は腐敗に転じ、良好な納豆は得られない。仕事に勤しむ近代人として、計画的に納豆を製造しようとするならば、別な手段を講じなければならない。

それで間違なく且つ清潔に納豆を造るには、煮豆に納豆菌の純粹培養したものを植ゑればよい。さうすれば納豆の出來損ひがなく、納豆の風味もよい。且つ藁苞を用ひず、蓋物なり曲物なりの中に納豆が造れるから、清潔で気持がよい

純粋培養した納豆菌をスターターとして使用することで、問題は解決した。純粋な納豆菌は、納豆製造において失敗する確率を小さくしたばかりか、納豆を別なステージへと押し上げる。単独で納豆菌を使用できるのだから、従来の(納豆菌を含む)稲藁が不要。それはまた、容器としての“藁づと”という形からの解放をも意味する。納豆製造に藁づとは要らず、蓋物、曲げ物……プラスチックであれ何であれ、基本的に容器の形態を問わなくなったのである。近代社会において、個人が(労働者として)農村共同体から解放された図式が、納豆が藁づとから解放された図式と、見事にオーバーラップ。

参考文献:沢村真『営養学』(成美堂書店)
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