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猿と乙姫

明治時代の日本で計5回、開催された「内国勧業博覧会」のうち、3回は東京です
が、第4回は明治28年(1895)に京都市の現・岡崎公園で、第5回は明治36年
(1903)に大阪市の現・天王寺公園で開かれており、京都市や大阪市にとっては、
近代都市としての有り様をアピールする好機でもありました。第5回内国勧業博覧
会の第1会場が大阪市・天王寺であって、第2会場として、堺市の「堺水族館」が
設けられています。当時、“世界に誇る東洋一の水族館”と謳われ、水族館の他、
「大浜公会堂」や「大浜潮湯」等が設置された会場の跡地が、現在の「大浜公園」。
       ☆
2021_03_19_乙姫橋_1 昔のイベント会場の跡地というだけで、「大浜
 公園」自体に特に期待していなかった訳です
 けれども、メインゲートから入って、いきなり、
 驚きました。何なんだ、この橋は! ゲート
 至近の案内マップには、堂々と「乙女橋」と
 誤記。正しくは、「乙姫橋」です(橋名板でも
 確認しました)。堺旧港の親水プロムナードに
 復元建設されている「龍女神像」は、元々、
 平和と繁栄のシンボルとして、堺水族館の
前に建てられていた物――“乙姫さん”の愛称で親しまれていたそうで、橋の名前も
その愛称に因んだもの。平仮名交じりで、昭和46年(1971)10月竣工とも刻まれて
いました。以前は、大阪臨海線が「大浜公園」を
南北に分断していたことから、南北地区を跨ぐ2021_03_19_乙姫橋_2
ための歩道橋として造られた模様。平成7年
(1995)9月、大阪臨海線のルートが変更され、
「乙姫橋」だけが取り残された、と……もはや、
トマソン状態ではありませんか。ぼくは往路で
アーチを潜りましたが、復路では、アーチ上路を
渡ることが出来ました。ただ、渡るというだけの
意味しか持たない純粋ブリッジ。それでいいの。
乙姫橋の東詰の先には「猿飼育舎」(やはり、
水族館時代の遺物)が設けられており、アカゲザル
生態を間近で観察できます。誰も関心無さげでしたが。
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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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