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蓮如と山科

山科疏水沿いは、昭和48年(1973)3月31日に
散策路(公園?!)として整備され、「東山自然緑地
と呼ばれています。その安祥寺~日ノ岡間の物件に
ついて記す前に、の橋について、書き残さなければ
……来月、3回に分けて、まとめてアップロード予定。
(山科疏水のコンクリート構造物についても、後日)
現在、読み進めている文庫本の文中、山科に関する
記述が目に留まったので(synchronicity)、引用します。
       ☆
(蓮如)上人が諸国を巡歴していわゆる御坊を建てたり、みずから住まって居た跡を見ると、まず本山は帝都の所在地でもあるから、京都に建てたかったであろうが、そこには山門の因襲的圧迫がなお衰えなかったから、京都には大谷の一向堂や小松谷を残して、別に山科にやや大規模の本山を建立したのであろう(その繁栄京都を凌ぐまでになったのは後の事であるが)。山科は海や大川こそなけれ、陸上の交通としては、京都から東海道へ行くにも、東山道へ行くにも、はたまた北陸道へ行くにも、ここでその咽喉を扼(やく)して居るほどの非常な要害の地であった。そこへ御影(みえ)堂、阿弥陀堂を始め、宏壮なる数多(あまた)の堂宇を建立して、非常に立派な庭座敷を設けながら、その周囲は土壁即ち土居(どい)で廻らし、さらにその外部に壕(ほり)を掘って、さながら城郭を形作った。
(三浦周行「中世の大阪」)

参考文献:三浦周行『大阪と堺』(岩波文庫)
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ジャンル : 日記

tag : つぶやき近代建築

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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