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「陶然亭」の納豆餅

中国文学史の碩学、青木正児(1887〜1964年)の食にまつわるエッセーのひとつ「陶然亭」は、酒肴を愛する者ならば一個のユートピアといった観を呈する、好事な飲食店を描いた佳篇。書き出しの「読者諸君の中には、あの家を御存じの方も少なくなかろう」とのフラットな語り出し、戦後の荒廃の中に戦前在った良店をノスタルジックに思い起こす末尾といい、一人称の短編小説として読めなくもない。谷崎潤一郎や吉田健一らの残した美食小説の系譜に連ねてもよさそうな塩梅だ。

この世に存在したはずなのに、幻のように理想化された「陶然亭」のメーン料理は湯豆腐だったりするのだが、それについては別稿「『陶然亭』の湯豆腐(1)」「同(2)」に譲るとして、ここでは納豆餅を取り上げよう。

陶然亭では、飯の代用に餅を供することがあり、さらには茶菓子まで備えていた。これに対して、下戸は驚き、中戸は半可通とそしりこそすれ、青木正児は「上戸の心下戸知らぬ耳食の浅見である」と喝破する。確かに現代でも、酒好きは辛党と称され、甘党と対比される場面も多いが、現実の酒呑みは甘かろうが辛かろうが、美味しければ何でも喰らうものである。

そもそも餅は芽出度い食品で、正月餅を始め各種の祭礼慶事の祝餅として邦人の生活に深く根ざしており、日本人の腹の力を養うにはこの上もなく耐久力のある穀食である。この国粋的にして芽出度き食品を厭う酒徒のあろうはずはなく

と青木先生も太鼓判を押していた。その「生餅でも調理法次第で酒肴の一に加えてかえって興趣を添える」ものとして、今宮名物「あぶり餅」、おろし餅、海苔巻餅、油揚餅、塩辛餅と並んで、納豆餅が挙げられている。

餅を搗く際糸引納豆と塩とを入れて搗きまぜるのだとも聞くが、そうしなくとも納豆を芥子と醤油とで味をしておいて、焼餅に付けて食べても至極結構である

という。

酒中の微弱なる甘味をさえ甘露の如く愛好する酒徒の舌は、その甘味を甘受する才能においては、甘味に馴れた甘党の舌よりもむしろ敏感であり、酒味よりも強度の甘味を受け容るる性能と用意とは十分持っている

との確言も頼もしいばかりではないか。

参考文献:青木正児『華国風味』(岩波文庫)
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